神名解題a
「衝杵等乎而留比古命」
『出雲国風土記』秋鹿郡 多太郷に記されている。
重複するが引いておく。
須佐能乎命ノ御子衝杵等乎而留比古命国巡リ行キ唑ス時至坐此処ニ詔テ吾ガ御心照リ明ニ正冥成吾者此処ニ靜ニ將ニ唑ラントス詔テ而靜リ唑ス故云多太ト †
須佐能乎命の御子、衝杵等乎而留比古命国巡り行き唑す時、此処に至り坐す時詔て、吾が御心正冥成りしと明らかに照り、吾は此処に靜かに將に唑らんとす、と詔て靜に唑す。故に多太と云う。
- 衝杵等乎而留比古命…ルビに従えば(ツキキトヲシルヒコノミコト)。秋鹿小学校前の道を北上した「多太神社」地理院地図に祀られている。
「衝杵」を「衝鉾」「衝桙」とするものがあるが、「杵」は餅つきの杵(キネ)であり、武具の「鉾・桙・矛」ではない。「衝杵」であるから、農耕神であり武神ではない。
古代の杵(縦杵・兎杵)は元々は脱穀(穂から種子を外す作業)・脱稃(種子から種皮を外す作業)に用いていた農具であり、杵衝き(衝杵)というのは脱穀・脱稃することを云う。(脱穀・脱稃を総じて「脱穀」と云う事もある)
・出雲国風土記抄2-k30で「衝杵等乎而留比古命」
・訂正出雲国風土記上-p37で「衝杵等乎而留比古命」ルビではなく傍書で(ツキキトヲルヒコノミコト)
・鶏頭院天忠本p023で「衝析等乎而留比古命」「析」の横に「杵」と補記
・上田秋成書入本p023で「衝杵等乎而留比古命」
・校注出雲国風土記p40で「衝桙等番留比古命」脚注に「突鉾通る日子の命」
・標注古風土記p160本文で「衝杵等乎而留比古命」、p161解説で(つきゝとをるひこの)命
・出雲国風土記考証p153で「衝杵等乎而留比古命」
- 等乎而留(トヲシル)というのはこのままでは解り難いが(等を留めた)で「伝えた」と云う意味合いであろうと思われる(衝杵等の農具を伝えた命)。
杵は元来ただの棒であったが、両端を太く中央部を細くして持ちやすく効率のあがる千本杵と云うものに発達した。
(そのような農具を伝えた)或いは(農具を伝えこの地に留まった)のが「衝杵等乎而留比古命」の神名由来ではないかと思われる。
「而」は助字(しかして)で、置き字として読まないことも多いが留比古(ルヒコ)では簡素すぎるために而留比古(シルヒコ)と読んだのであろうと思われる。
「衝杵等乎・而留比古命」(ツキキネトヲ・シルヒコノミコト)と一呼吸置くと理解しやすい。