[[神名解題a]]

''「沼河比売」''
古事記で「&ruby(ヌナカワ){沼河};比売」、出雲国風土記で「奴奈宜波比賣命」
古事記で「&ruby(ヌナカワ){沼河};比売」、出雲国風土記で「奴奈宜波比賣命」、他に「奴奈川姫命」

出雲国風土記では、「&ruby(オキツクシイ){意支都久辰為};命」の子「&ruby(ヘツクシイ){俾都久辰為};命」の子とされる。
神祇志料には、父は「奴奈川彦命」母は「黒姫命」であると記されている。
--糸魚川市田伏の「奴奈川神社」社伝によれば、意支都久辰為命は高皇産霊尊の子という。
---黒姫命は信濃の出身とも云われるが、姫川西方の黒姫山(青海黒姫山)がその縁起地であろう。
黒姫命は沼河比売のことであるという言い伝えもあるが疑問。(刈羽黒姫山・青海黒姫山)
青海黒姫山については、この山の東方にある福来口鍾乳洞に黒姫が住んで機織りをしていたという(沼河比売ともされるが疑問)。
その布を晒していた川を布川と呼んだという。

沼河というのは今の姫川とされ、この流域は翡翠の産地として名高い。沼河は渟名川・渟奈川とも記される。
沼河は又、瓊の川とも呼ばれていたらしく、この場合の瓊は「ぬ」と読めるので、沼河比売は&ruby(ヌノカワ){瓊河};比売であると考えられる。「瓊河」はこの場合「翡翠の河」

---姫川にはかつて&ruby(イトヨ){糸魚};が多く見られた事から糸魚川という地名の由来となっている。(糸魚川と云う河川はない)
糸魚は清流に住む魚であるので、「沼河」はふさわしくない。

沼河比売は色黒の醜女であったと云われている。にもかかわらず八千矛神(大国主命)が妻乞いしたのは、翡翠が目的であったとされている。
醜女であったため、八千矛神と次第に疎遠となり、共に能登に旅した際逃げだし、姫川上流に隠れていた際、追っ手の火に掛かり焼死したと伝えられる。
又、平牛山中の稚児が池或いは姫川上流の姫ヶ淵に入水したとも云われる。
又、鹿に乗って諏訪の地に逃れたとも(茅野市御座石神社)。

---大国主命の別名に「葦原色許男」というのがあり、これは「葦原醜男」である。
醜男・醜女は、話者が貶めるために用いるのであろうから、沼河比売が実際に醜女であったかどうかは不明。
古事記にある妻乞いの歌には「賢し女を ありと聞かして、&ruby(クハ){麗};し女を ありと聞かして、さ&ruby(ヨバ){婚};ひにあり立たし~」とあり、賢しく麗しい乙女と呼んでいる。
---大国主命を八千矛神と呼ぶとき、これは武神としての性格を表しているから、八千矛神はこの地方を武力制圧したのかも知れない。
そう考えると、沼河比売の最期に悲しい物語があるのも得心できる。
が、焼死や入水ではあまりに哀れなので、諏訪の地に移り武御名方神と共に暮らしたとしておきたい。


沼河比売は武御名方神の母とされるが、古事記には明らかな記述はない。

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第2代天皇とされる「神沼河耳命(古事記)」「神渟名川耳天皇(日本書紀)」いわゆる綏靖天皇の名に「沼河」「渟名川」がある。


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