「沼河比売」
古事記で「
出雲国風土記では、「
神祇志料には、父は「奴奈川彦命」母は「黒姫命」であると記されている。
沼河というのは今の姫川とされ、この流域は翡翠の産地として名高い。沼河は渟名川・渟奈川とも記される。
沼河は又、瓊の川とも呼ばれていたらしく、この場合の瓊は「ぬ」と読めるので、沼河比売は
沼河比売は色黒の醜女であったと云われている。にもかかわらず八千矛神(大国主命)が妻乞いしたのは、翡翠が目的であったとされている。
醜女であったため、八千矛神と次第に疎遠となり、共に能登に旅した際逃げだし、姫川上流に隠れていた際、追っ手の火に掛かり焼死したと伝えられる。
沼河比売は武御名方神の母とされるが、古事記には明らかな記述はない。
第2代天皇とされる「神沼河耳命(古事記)」「神渟名川耳天皇(日本書紀)」いわゆる綏靖天皇の名に「沼河」「渟名川」がある。