神名解題a

「八束水臣津野命」

近時(ヤツカミズオミズヌノミコト)と読まれている。

この神を主祭神に祀る神社

「八束」「八束水」という名の地名


出雲国風土記で国引き神話の主人公。
古事記にある速須佐之男命の4世の孫「淤美豆奴神」と同一神と見られている。天之冬衣神の父、大国主神の祖父。
島根県邑智郡邑南町八色石792の龍岩神社伝説に八束水臣津野命が出ており、石見という地名縁起になっている。


この神格、出雲では重要な神格なのだが、良く解らない事が多い。
生誕地が蒜山北方とも伝えられ、杖を突きながら各地を巡り、国を縫いなしたとも伝えられる。
「束」は計量の単位だが、「つか」であって、「そく」でも「たば」でもないから容量の単位ではない。
長さであれば手の握り幅、即ち握り拳の幅にあたる。(10cm弱)
八束では80cm前後。この位の長さであれば、命が常に手にしていた杖か刀の長さかとも思う。
八束水というのは意味が解らない。
八束水が気高町の地名にあるヤツカミであるならばこれは地名を指し、後に記すが生誕地を表している。
「八束水」を「八束・水」と分けて考えることは出来ない。
八束水は又、八掴みで、出雲9郡のうち、他の8郡を掴んだと云う意味かとも考えられる。
「オミズ」が「大水」という説(伊勢での創作?)は頑じ難い。臣津=(おみ・つ)であって(お・みつ)ではない。
大水の神というのであれば、国土を流すことはあっても、引き寄せることはない。
「臣」は目の瞳を表し、「神に仕えるもの」というのが字義である。
「津」は水辺を表す。

上記を勘案すると「八束の杖をもち、水辺で神に仕えるもの」というのが神名の意味のように思われる。
読みに「ヌ」を入れる事には少々疑問がある。この件再考。


『出雲国風土記』嶋根郡には
・白井本「所以号嶋根郡国引唑八束水臣津野命(ヤツカミマヲシツノミコト)之詔而頂給名故島根」の部分でルビがあり、(ヤツカミマヲシツノミコト)とある。
・岸崎本(第2帖p3)では同じく嶋根郡の部分で、八束水臣津野命に(ヤツカミノヲシツノミコト)とルビがある。
・上田秋成書入本(15コマ)では、八束水臣津野命に(ヤツカミノカンツノミコト)と黒字のルビがあり、赤字で(ヤツカミノオンツヌノミコト)と読むように訂正してある。

これらから勘案すると、
「八束水臣津野命」は(やつかみのをしつのみこと)と読むのが正しいように思われる。→「八束水(ヤツカミ)臣津(ヲシツ)の命」。

昨今(ヤツカミズオミズヌノミコト)と読まれるようになったのは、おそらく古事記の「淤美豆奴神(オミズヌノカミ)」になぞらえるための作為と思われる。
「八束水」は(ヤツカミ)であって、(ヤツカミズ)ではない。
「八束水臣津野命」を(ヤツカミズオミズヌノミコト)と読むのは誤った読み方であると云わざるを得ない。

「淤美豆奴神」は(オミズヌカミ)というのが文字通りの読み方で、ここに(ノ)を入れるのは本文には無い挿入助詞で、訓読しやすいようにしたものである。
しかしながら、「八束水臣津野命」との対比で、「淤美豆奴」に対応するのは「臣津野」であり、奴・野は共に助詞と考えられる。
であれば、「淤美豆奴」は(オミズノ)と読むべきで、「淤美豆奴神」は(オミズノカミ)であり、
「奴」が本来助詞であれば、更に(ノ)を加えて読むのは重複ということになる。
本来は「淤美豆神」(オミズノカミ)で充分なのであり、卑文字「奴」を加えたもしくは「努」を「奴」に変えたのは悪意としか思えない。

臣津(ヲシツ)→(オミツ)→(オミヅ)→淤美豆と転じていったのであろう。


気高町八束水に「姫路神社」がある。(鳥取市気高町八束水1227)
ここに「閇知泥姫(ヘチオネヒメ)」がこの地で八束水臣津野命を生んだ」という古い言い伝えがあるらしい。


『出雲国風土記』出雲郡・神門郡に見える「意美豆努命」「意美定努命」に関しては、又改める。


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