神社a

◎「倭文(シトリ)神社」
鳥取県東伯郡湯梨浜町大字宮内754地理院地図

主祭神:建葉槌命・下照姫命

伯耆国一ノ宮

建葉槌命を主祭神とし、下照姫命を配神としているが、縁起は下照姫によるもので、
出雲から海路やってきて、この地で暮らし亡くなったことに由来する。
この地方では織物が盛んであった為、織物の神とされる建葉槌命を祭ったようである。
以前は倭文をシドリと呼んでいたようであるが今はシトリに改めている。
鳥取県史近代資料編によれば江戸幕末の頃「一ノ宮大明神」と呼ばれていた頃には建葉槌命は祭神名に見られない。
建葉槌命を主祭神としたのは大正期のようである。

山中に下照姫の墳墓と伝える塚があり、度々盗掘が試みられていたようであるが、大正4年盗掘を試みたものがあり、経筒を発見。
発掘調査したところ経筒の他多くの埋蔵物があり、国宝に指定され、経塚であるとされた。

下照姫が海路で到着したのは現社地北方、宇野と宇谷の間の仮屋ヶ崎であるという。その際姫を導いたのが亀であり、この海岸には亀石と呼ばれる岩礁があるのでその付近であったかと思われる。
付近に「お腰掛岩・お舟岩・化粧水」などの名が残るといわれているが未確認。

一説には、出雲国譲りの後、下照姫は隠岐での謹慎を命じられたが、隠岐へは行かずこの地に着船したと云う。
但し、謹慎を命じたのが誰か、何故謹慎しなければならないのか理由が不明で信じがたい。

理由は定かではないが社家や近郷では雉を食べないという。夫である天若日子の逸話に関連したものかと思われる。

現社地に今は「杉尾の神水」と呼ばれる湧き水があったことから下照姫はここに居を構え、従者(福井・岩本・寺地・手嶋の祖先)も近在に居を構えたという。
そしてこの地で、農業や医療の他、安産の指導に当たられたと伝える。
その故か、安産の神様として崇敬を集めてきている。
弟である阿遲須枳高日子命の世話をしていた経験を生かしたのであろう。

倭文神社の神使は蛇であるという。本殿裏にタブノキの神木(今は朽ちている)があるが、この木の虚には多くの蛇が居たという。



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