[[神社a]]

''◎「佐太神社」''
島根県松江市鹿島町佐陀宮内73

北殿・中殿・南殿の三殿並立の社である。

三殿の祭神は時代によって変遷している。

現在の祭神
北殿:天照大神・瓊瓊杵尊
中殿:佐太御子大神・伊弉諾尊・伊弉冉尊・速玉男命・事解男命
南田:素盞嗚尊・秘説四柱

http://sadajinjya.jp/

[[『出雲国風土記』秋鹿郡:https://fuushi.k-pj.info/pwk8/index.php?%E3%80%8E%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%9B%BD%E9%A2%A8%E5%9C%9F%E8%A8%98%E3%80%8F%E7%A7%8B%E9%B9%BF%E9%83%A1#rfbdcfa1]]で「佐太御子社」

----
[[「日本伝説集」S48年宝文館刊:http://k-pj.com/ob/bguid/guide.cgi?word=4-b7715-001048-b]]に、清水兵三という人からの情報として、
 「出雲国の佐太神社の奥の院の祭神は、ハハギノフトモトと云う神様である。
 或時、此神様が戦に行かれるとき、ところの者が、山がちの穿く足なか草履を差上げたところが、この草履のために、神様は戦に負けられた。
 それで、今でも、此草履を穿いて、参詣をすると、罰があたる。」
とあり、気になったので掲載しておく。

佐太神社南側奥を入り、三笠山の中腹にある磐座で、比婆山から伊弉冊尊の神陵を遷したと伝えられる母儀人基社(ハギノヒトモトシャorモギノヒトモトシャ)がこれにあたるのであろうと思われるが、草履に纏わる伝説であり、伊弉冊尊との関わりが良く解らない。
安来市の比婆山久米神社にある伊弉冊尊の神陵を少し小さくしたような磐座なのだが、
神陵を遷したという話は久米神社側には無かったように思う。
ちなみに、どちらも草履無しの素足では行き難い山中にある。
ついでに、「母儀」自体は「ぼぎ」と読むのが正しい。


トップ   新規 一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS