◎「長見神社」
島根県松江市長海町59 地理院地図
主祭神:瓊瓊杵命・木花開屋姫命
『出雲国風土記』嶋根郡記載の長見社
・出雲国風土記考証p96で「今の本庄村
元は先田谷にあったという。
近年まで「
神社の北東方向山中に武蔵坊弁慶が生まれ育ったという「弁慶の森」地理院地図と呼ばれる場所があり、そこに弁慶産湯の井戸があると云う。
又その森には弁慶が母である弁吉を祀った弁吉女霊社がある。
弁慶産湯の井戸は弁吉が手掘りしたと伝えられているが、現在案内表示はあるものの、井戸らしきものは見当たらない。
長見神社には弁慶がこの地を去るに際し納めた願文が残されているという。
(長見神社 境内社)
・「金崎神社」(素盞嗚命・猿田彦命)であろうか。
(長見神社 境内社)
・左「天満宮」、右は「新宮神社」(速玉男命)であろうか。
(長見神社)
・「弁吉女霊社」の跡であろうか。元の地から一旦長見神社境内に移され、再び元の地に戻されたという。
(長見神社 弁慶産湯の井戸跡)
・落ち葉に埋もれているのか、井戸らしきものは見当たらない。
(長見神社 弁慶の森案内板)
・この森が弁慶の生誕地だと伝える。
(弁慶の立岩)
・幼い頃の弁慶がこの岩を起こして立てたと伝える。
・弁慶伝説はこの地域に散在する。
弁慶島・弁慶の握り茅・刀匠成相定恒の墓・鰐淵寺鐘楼、など。
ざっと記しておくと、
紀州田辺生まれで熊野別当湛増(誕象)の娘の弁吉が大女であった為か良縁に恵まれず、出雲で縁結びの祈願をしてこいと両親に言われ、出雲に来た際出雲路幸神社で長海の地に行き待てとのお告げを受け、長海で山伏姿の天狗に出会い、弁太を生んだという。(弁太は弁慶の幼名)
怪力で悪戯好きに育った弁太に手を焼いた弁吉は弁太を中ノ海の孤島亀島(弁慶島)に閉じ込めた。
そこで弁太は父である天狗に武術の指導を受け、数年の後に島から陸まで石を積み道を作り脱出。
その後華蔵寺に入り弁慶と改称。澄水寺や鰐淵寺で修行を続けていたが、母弁吉の死を機会に、京の比叡山に行くことを決意し、叔父の刀鍛冶成相定恒に薙刀を作ってもらった。
その刀を見た弁慶は、定恒に他にもこのような名刀を作るのかと問うと、定恒がそれが生業であるから作ると応えたため、弁慶は定恒を斬り殺したという。
そうして母の菩提を弁吉女霊社に祀り、長見神社に願状を残し旅立ったという。
- この伝説からすると、天狗と言われる弁慶の父は成相定恒の兄という事になる。
弁慶伝説には異同が多く上述はその一つである。
弁慶島は私有地であり以前は自由に通えたが、火災を起こしたものが居り、今は通うことができない。