◎「諏訪神社」(出雲社)
島根県出雲市別所町72 地理院地図
祭神:社は一つだが、合社されているので個別に記す
・諏訪神社:武御名方神
・出雲社:八束水臣津野神
・韓國伊太弖神社:五十猛命
鰐淵寺の北方にある。
『出雲国風土記』出雲郡記載の「出雲社」・『延喜式』出雲国記載の「出雲神社」。
諏訪神社であるから当然「武御名方命」を祀っているが、外に「八束水臣津野命」も祀っている。
(島根県神社庁では「八束水匠津野神」と記している)
又「韓國伊太弖神社」を合祀し「五十猛命」も祀られているという。
社地は変遷を受けてきたようである。
元社地は鉱山開発のために現社地に移される前は北北西方向の帆柱山山中にあったと云われ、
更に古くは、別所鰐淵寺創建の際に移されたとも云われる。(鰐淵寺は元は唐川地区にあった)
近傍に公民館地理院地図があり、そこには、元社地にあったのであろう祠が複数纏め置かれている。
この附近、古来鉱山採掘(銅・鉄)が盛んに行われていた区域で、山を見ると採掘跡があちこちにある。
その様な地域の中心であった神社(出雲社)と考え得る。
諏訪神社と呼ばれるようになったのは鰐淵寺を創建した智春上人が信濃の出身であったことと無関係ではあるまい。
諏訪神社は長く鰐淵寺により維持され祭祀も行われてきたが、明治に入り分離された。
鰐淵寺は又出雲大社との関係も深いのだがそれは又改める。
経緯を考えるに、元は「出雲社」として「八束水臣津野命」を祀っており、唐川に鰐淵寺が創建された後そこに「諏訪神社」が勧請され、別所鰐淵寺創建の頃合祀され、以後「諏訪神社」と呼ばれるようになったのだと思われる。
より大胆に記せば、本来の社地は現別所鰐淵寺境内であり、別所鰐淵寺創建の際帆柱山山中に移され、更に鉱山開発のために現社地に移されたのだと考え得る。
ちなみに「出雲社」の論社には、出雲大社の「素鵞社」、「長浜神社」、「富神社」があるが何れも不適。
(別所 諏訪神社 本殿内)
・本殿内に黒漆金文字で「出雲社」と記された豪華な扁額がある。元社地社殿にあったものかと思われる。
(別所 諏訪神社 本殿屋根)
・屋根の葺き方が特殊で見事なもの。山形を複数彫り出した小板を並べ重ね風通し良く造作されている。
(別所 諏訪神社 境外祠)
・近くの公民館奥に纏めて祀られている小祠。
(別所 諏訪神社 後方の山容)
・左側に帆柱山があるがその山麓部分に鉱山開発により大きく切り出された山塊が見える。この辺りに元社地があったのかも知れない。
(別所 採掘場跡地1)
・諏訪神社周辺にはこのような採掘場跡地が多々見られる)