[[神社a]]

○「&ruby(ススキガワ){須須岐水};神社」

長野県松本市里山辺薄町2785 [[地理院地図:https://maps.gsi.go.jp/#15/36.233294/138.007627]]

主祭神:&ruby(ススキガワ){薄川};の神

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近くに「須須岐水神社古宮」[[地理院地図:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.232345/138.008001/]]があり、東方に「須須岐水神社奥宮」[[地理院地図:https://maps.gsi.go.jp/#15/36.187899/138.079803/]]がある。
里山辺の社は「須須岐水神社里宮」とも呼ばれる。

&ruby(ススキガワ){薄川};の「薄」は植物のススキを意味する。
薄川は薄水と記されていることもある。
この辺りは筑摩山地を水源域とする扇状地であり、今は薄川が松本の市街地に向けて流れているが、古来氾濫が繰り返され、川筋は一定ではなかった。薄水・須々岐水という表記は、ススキの生える水流域ということであったのであろう。

「薄川の神」は奥宮のある大明神平に降臨しススキの舟に乗って薄畑にやってきたと伝える。その際ススキの葉が石に擦れて片葉になりそれを御神体としていたが、御神体は年降るうちに失われ、その後はススキを植栽し祭るという。
(一部にススキ舟を笹舟とするものがあるが誤りである)
「薄川の神」は又素戔嗚命であるとも云い、治水を行い稲作のできるように開拓したという。

延暦18年(799)高句麗からの渡来人&ruby(ケルノマオイ){卦婁真老};が須須岐氏の姓を賜り、須須岐水神社を奉祭したという。

鎌倉時代諏訪神社上社&ruby(ミワ){神};氏がこの地区の郷名山家郷により山家氏と称し地頭としてこの地域を治めるに際し祭神を建御名方命・素戔嗚命に改めた。

---「薄の神」が素戔嗚命というのは後世の付会であろう。素戔嗚命であるなら、薄の神などとせず、当初から素戔嗚命とすれば良いことである。

・「信府統記」享保9年(1724)巻六k21に「薄宮大明神」として縁起が記されている。[[国会図書館デジタルアーカイブ:https://dl.ndl.go.jp/pid/765133/1/21]]


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