[[神社a]] ○''「天磐門別神社」'' 広島県山県郡北広島町宮迫字磐門1357 [[地理院地図:https://maps.gsi.go.jp/#15/34.782844/132.514665/]] 島根県との県境に近い。 江の川上流、可愛川支流岩戸川河畔にある。 毛利元就に取り込まれる以前の吉川氏本拠地大朝の地である。 「天磐門別」というのは、いわゆる天岩屋(天岩戸)に天照大神が隠れた際、手力男神が天照大神を岩屋から引きだし、その後再び天照大神大神が天岩屋に隠れぬよう、岩屋の門岩(岩戸)を遠地に移したという神話で、門石は幾つかに別れ、一つは信州戸隠(岩戸隠)、一つは阿波の天岩戸別、又一つがこの天磐門別として祭られたという逸話による。 一般には、天岩屋戸(天岩戸)は日向高千穂の天岩戸神社近くにある岩屋として知られているが、これには疑問が多く、各地に天岩戸とされる場所は多くある。 それはさておき、天磐門別神社について、社殿後方に岩山があり、社殿はその岩の一部を穿く様に建てられている。 本殿はおそらく岩の中にあるのであろう。 つまり、小山を成す岩塊自体を御神体として祭っている神社である。 創建がいつなのか不明だが、社家森脇氏は今はやや南方の八坂神社宮司となっており、今の天磐門別神社宮司は三上氏のようである。 扁額には「天盤戸大神宮」とある。 案内もなく祭神も伝承も良く解らない。(保留) 明治6年郷社。