[[神社a]]

○「鏡神社」

島根県雲南市大東町新庄432
島根県雲南市大東町新庄432 [[地理院地図:https://maps.gsi.go.jp/#15/35.326593/132.985082/]]

主祭神:天照皇大神・瓊瓊杵尊・石凝姥尊

祭神:素盞嗚尊・大己貴尊・事代主尊・大山祇尊

福間重賢という住人が山尾谷で砂鉄採取精錬の為に&ruby(タタラ){鑪};を作り、産鉄事業に成功したことにより大和国から伊多社・麻気社より石凝姥命を鑪場の神として勧請したのが鏡神社であるという。
その後、この地の産土社であり廃社となっていた天照大神と瓊瓊杵尊を祭っていた比和社を再建しこれに合社しようとしたが叶わなかったという。
その後、この地の産土社であり廃社となっていた天照大神と瓊瓊杵尊を祭っていた比和社を再建しこれに合社し「比和神社」としようとしたが叶わなかったという。

---伊多社は奈良県礒城郡田原本町の宮古地区と保津地区に二社ある「鏡作伊多神社」祭神:&ruby(イシコリドメ){石凝姥};命
麻気社は奈良県礒城郡田原本町の小阪地区にある「鏡作&ruby(マケ){麻気};神社」祭神:&ruby(マヒツネ){麻比都禰};命
鏡作りの職能集団の居た地域である。
石凝姥命は天照大神の岩戸隠れの際、鏡を作った神で、大山祇命の子である麻比都禰命(天糠戸命・天目一箇命)の子というが、書記本文にはその名はなく一書の一に石凝姥の名が有り、又一書の二では天糠戸者が鏡を作ったと記され、一書の三では天抜戸の子石凝戸辺が鏡を作ったと記され、判然としない。
古事記では鏡作りには鍛人天津麻羅と伊斯許理度賣命の名がある。
古事記では鏡作りには&ruby(ヌカチ){鍛人};天津麻羅と伊斯許理度賣命の名がある。
ところで、石凝姥が作った鏡は銅鏡であろうから、産鉄で成功したという福間が何故この神を勧請したのか奇妙である。
産鉄なら金屋子神を祭るのが普通だが、金屋子神を奉る東方から来た産鉄民とは違うという意識でもあったのだろうかと思われる。
『出雲国風土記』大原郡記載の比和社云々については不明。
通説では加茂町砂子原の「比和神社」が、「出雲国風土記」記載の「比和社」とされるが、こちらも根拠は薄い。
もし仮に鏡神社の主張する廃社となった神社が比和社であったとしても、一度廃社となったのであるから今更鏡神社が比和社を主張しても出雲国風土記の比和社という事にはならない。

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