[[神社a]]

○「神藏神社」(シンゾウジンジャ)

島根県安来市野方町247 [[地理院地図:http://maps.gsi.go.jp/#17/35.390804/133.248442/]]

主祭神:大田命

野方町真ヶ崎という地区の小山中にある。
地元では表氏神様と呼んでいる。
少し離れたところに裏氏神様がある。[[地理院地図:http://maps.gsi.go.jp/#17/35.390699/133.248689/]]
島根県神社庁に記載はない。
地元の氏神社として大切に護られてきたのであろう。
「大田命」は「佐太大神」の末裔である。


社の基壇に1個の大石を用いており、この石が教昊寺五重塔の礎石であったのではないかと考えられている。

・出雲国出雲国風土記考証p36解説で「教昊寺は野城橋から古の四里一百二十歩であるから、位置は澤村にあたる。それで私は、大正六年に、澤村の中、野方との堺に近き土居ゾネといふ所から、天平時代の唐草模様ある瓦片が出ることを見出し、そこが教昊寺跡であらうと断定した。
風土鈔や風土記考に今の清水寺かといひ、又さもあるべしといつて居れども、清水寺では本文の里程に合わぬ。そして清水寺は天平五年より七十三年後の大同元年の創立といふ。
有僧とは民部省の處分を經て度帳を持つた僧が居るといふ。賛位とは官なくして位のみあるをいふ。~」とある。
土居ゾネ(どいぞね)というのは「神藏神社」の南西方向にある小丘を云う。[[地理院地図:http://maps.gsi.go.jp/#17/35.389527/133.247391]]
ここには発掘調査で溝状遺構が確認されている。
---出雲風土記抄の解説で岸崎は清水村・清水寺と記し、安来市島田町の天台宗瑞光山清水寺ではないかと考えていたようであり、後藤はそれでは里程が合わぬとしているわけだが、野方町南西の山も又清水山(標高107m)という。[[地理院地図:http://maps.gsi.go.jp/#15/35.384799/133.237553/]]。「神藏神社」にせよ、「どいぞね」にせよ、新羅瓦は出土しているが寺院跡は発掘されて居らず、未だに教昊寺がどこにあったのかは定かではない。
思うに、岸崎は清水山に教昊寺があったと見聞し、それで瑞光山清水寺かと考えたのではないかと思われる。
野方町南西の清水山には現在寺院はなく、又調査も行われていないようだが、この山中に教昊寺があったのではないかと考え得る。

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