[[神社a]]

○''「比太神社」''(ヒダジンジャ)

安来市広瀬町西比田2452 [[地理院地図:https://maps.gsi.go.jp/#15/35.237558/133.129234/]]

主祭神:吉備津彦命・吉備津姫命

伊弉諾命・伊弉冊命・押武金日命・菅原道真を合祀

・「押武金日命」は27代安閑天皇の事で、26代継体天皇の第一子。
---この命を祀っていると云うことは修験との関わりがあり、大己貴神・少彦名命を祀っていたのであろう。


[[『出雲国風土記』仁多郡では「比太社」:https://fuushi.k-pj.info/pwk8/index.php?%E3%80%8E%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%9B%BD%E9%A2%A8%E5%9C%9F%E8%A8%98%E3%80%8F%E4%BB%81%E5%A4%9A%E9%83%A1#t4bd4460]]。

・雲陽誌k78p143で「一宮明神 吉備津彦命吉備津姫命なり、九月廿九日を祭日とす、土人社地を龜居山と號す、」
---「雲陽誌」能義郡西比田東比田に「比太社・比太神社」という記載はない。

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『出雲国風土記』仁多郡では「比太社」。
色々疑問の湧く神社である。
(比太神社 参道口)
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・参道口は狭く少々解りにくい

(比太神社 社殿)
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・拝殿と右手に境内社(伊勢社・稲荷社・木野山社・岩船社・縄久利社)
「木野山社」は大山祇尊・大己貴尊・豊玉彦命を祀る社で狼を眷属とする。

(比太神社 拝殿扁額)
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・「比太社」とある。

(比太神社 拝殿内)
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・扁額に「一宮大明神」掛軸に「比太之大神」

(比太神社 本殿)
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(比太神社 別社参道)
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・社叢北西方向に参道があり、もとは大鳥居もあったという。今の比太神社とは無関係だという。

(比太神社 別社)
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・今の比太神社とは別に参道があり2社が並んでいる。石碑は社日。
社は「比太神社」とは一段高い場所にある。かつてはきちんとした社殿があったという。
左手は八幡宮、右手は封じられ、幾つかの神社が纏められていたようである。恵比須神社・愛宕神社・水分社・真名井社など
今は共に[[「金屋子神社」:https://fuushi.k-pj.info/pwk8/index.php?%E2%97%8B%E5%B3%B6%E6%A0%B9%E7%9C%8C%E5%AE%89%E6%9D%A5%E5%B8%82%E5%BA%83%E7%80%AC%E7%94%BA%E8%A5%BF%E6%AF%94%E7%94%B0307-1%E3%80%8C%E9%87%91%E5%B1%8B%E5%AD%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%80%8D]]に合社されているという。

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---色々疑問の湧く神社である。
元は伊弉冊尊を主祭神に祀っていたともいう。
上記「別社」と記した2社の内、閉ざされている右の社が本来の「比太社」であったのであろうと考えられる。
中心は「恵比須神社」で祭神は「大國主命・事代主神」
今は取り壊されているらしいが、南方にかつては「諏訪神社」があり、「恵比須神社」「八幡宮」と共に3社で祭禮が行われてきたという。
この地は、「御墓山」を含む比田連山が望める地であり、元は伊弉冊尊を祀っていたというのも得心できる。
吉備勢力の侵入や武家支配などの歴史過程で本来の「比太社」が地位を失い、明治の神社改めで今の「比太神社」が風土記の「比太社」とみなされるようになってしまったのであろう。
合社された後、今でも地元では大事にされているようであり、三社の祭礼も続けられているという。
社地東辺に「奥之殿」という地名があるが、ここは伊弉冊尊が暮らしていた地であると伝える。
ちなみに御墓山への出雲側からの山道は、東方の梶地区からであったようだが、今は途中から藪道となっている。
途中に[[大神山:https://maps.gsi.go.jp/#15/35.232107/133.146315/]]というのがあり何かしらの由縁があるのであろうが不明。「木野山神社」があったのかとも思われる。


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