○「寶坂神社」
島根県出雲市佐田町朝原641 地理院地図
主祭神:寶坂大神(天三降魂尊)
「須佐神社」の北東方向、須佐川上流の朝原地区にある。
「出雲国風土記」飯石郡には記述はなく、「出雲国風土記」神門郡では、社としての記述はないが「堀坂山」の記述があり、この堀坂山が寶坂大神が天降した山であると伝える。
社伝では「須佐大神に付随して
この地は、神戸川の立久恵峡下流の所原から大月・寺領を経て須佐神社に向かう古道筋に当たる。
神戸川沿いは今では沿道が通じているが、古代において川が増水すれば立久恵峡辺りは通行困難な場所であり、
堀坂峠を越えるこの古道は重要な街道であったであろう。
堀坂峠は今は寺領峠と呼ばれているが、峠を東に進めば三刀屋川に通じる。
社伝で「降坂」と記しているのは、峠を南西に進めば須佐神社に通じ、その間ただただ下り坂が続く事からの呼び名であろう。
「降坂」(オリサカ・コウサカ)の読みは「堀坂」「寶坂」の読みにも通じる。
「醸酒」を(オリサカ)と読んでいる件については不明。「酵酒・香酒」であれば「降坂」に通ずると思ってみたりもするが不明。
「寶坂大神」を「天三降魂尊」としている件について、
「天三降命」と云えば「饒速日命」もしくは「天津彦彦火瓊瓊杵尊」の天降りの際の随神で宇佐国造の祖とされることで知られるが、ここに記された「天三降魂尊」が「天三降命」であるかどうかについては不明、というか疑わしい。
思うに、「天三降魂尊」は「天御降魂尊」であり、(堀坂山に天降った神)という意味を表しているのであろう。「魂」の一字があるのは「天三降命」ではない事を暗示しているのだと思われる。
現社地を少し南下すると「八雲風穴」佐田町朝原1671というのがあるが、天然のクーラーとして知られている。
朝原の地はその様に冷涼な地であり、酒造りには適しており、須佐神社へ届ける神酒を作っていたということはあり得そうなことである。
ちなみに、雲陽誌巻7飯石郡 朝原(k120p227)で、「寶坂明神 何の神をまつるやいまた考す、或人曰【風土記】に堀坂山と記は此社頭の山なり、」とあり、既に解らなくなっていたようである。