[[山]]

▲「八雲山」(須我山)
標高424.1(m) [[地理院地図:https://maps.gsi.go.jp/#15/35.364643/133.049455/]]

『出雲国風土記』大原郡に記載されている「須我山」
[[『出雲国風土記』大原郡:https://fuushi.k-pj.info/pwk8/index.php?%E3%80%8E%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%9B%BD%E9%A2%A8%E5%9C%9F%E8%A8%98%E3%80%8F%E5%A4%A7%E5%8E%9F%E9%83%A1#ce57c234]]に記載されている「須我山」

山頂は開けている。
ただ、「大本八雲神社」の境内地になっているようで、その類の石碑や建造物がある。
所謂大本教である。
それを無視すれば気持ちの良い山頂である。

登山口は[[北麓:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.367732/133.044970/]]と[[南麓:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.363007/133.041773/]]にある。

雲陽誌110コマp206で「須我山 【風土記】に載る所なり、古須我社ありといふ、今は諏訪明神の宮山なり、里俗寶名塚といふ、」
とあるから、須我山は諏訪神社の社地であったはずである。どういう経緯か不明なれど、大正期頃、大本に売り払ったということになる。
---大本では出口王仁三郎に憑依した神は素盞嗚尊としている(後には増える)ことから、この地の入手を図ったのであろう。
それに須我神社が応じたものかと思われる。
それに[[須我神社(諏訪神社):https://fuushi.k-pj.info/pwk8/index.php?cmd=read&page=%E2%97%8B%E5%B3%B6%E6%A0%B9%E7%9C%8C%E9%9B%B2%E5%8D%97%E5%B8%82%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E7%94%BA%E9%A0%88%E8%B3%80260%E3%80%8C%E9%A0%88%E6%88%91%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%80%8D]]が応じたものと思われる。
今の須我神社が、和歌発祥の地と称しているのは、出口王仁三郎が言い出したことを受けたものであろう。
「八雲山」と山名を変えたのも王仁三郎によるものかと思われる。
尚、同じく大本の所有となって大本の許可が必要になった丹波篠山城のような許可は要らず、時間制限もない。


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