[[文献]] [[『出雲国風土記』]] ''&color(blue,){『出雲国風土記』総記};'' ***&color(navy,){國之大體 首震尾坤 東南山 西北属海 &br;東西一百卅七里一十九歩 &br;南北一百八十二里一百九十三歩 }; [#i96c4a96] &color(darkgreen,){国の大体は、&ruby(ヒムガシ){震};を首とし、&ruby(ニシミナミ){坤};を尾とす。東と南とは山にして、西と北とは海に属けり。&br;東西一百三十七里一十九歩。&br;南北一百八十二里一百九十三歩。}; -細川護貞氏蔵本(上記)…國之大體首震尾坤東南山西北属海…(但し原本未確認) -倉野憲司氏蔵本…國之大體首震尾坤東南宮北属海 -神西氏蔵書写本…國之大體首震尾坤東西正北属海 --いきなりだが、白井文庫本も上田秋成書入本でも、「國之大體首震尾坤東南宮北属海」となっている。 これらから、元の文は「國之大體首震尾坤東南宮北属海」が正しいと思われる。 読み方は「国の大体、宮の東と南に震を首とし坤を尾とし、北は海につけり」と云ったところであろう。&br;又、続く「南北一百八十二里」は、倉野本・細川本では「南北一百八十二里」で、白井本と上田本、神西本、岸崎本では「南北一百八十三里」となっており、 八十三里が正しいと考えられる。 但し、出雲全体からすれば誤差の範囲としておく。 ちなみに、この当時の一里は三百歩で現在の534.54(m)に相当するらしい。300で割ると一歩は1.7818(m) この値、左右2足にしてもかなり大きい。 ↓改め (岸崎氏本-1-p7) &ref(http://fuushi.k-pj.info/jpgb/izumok/kisizaki1-07.jpg); (白井文庫p03) &ref(http://fuushi.k-pj.info/jpgb/izumos/ifs03.jpg); ***&color(navy,){国之大躰 首震尾坤東南宮北属海 &br;東一百卅七里一十九歩 &br;南北一百八十三里一百九十三 }; [#bef3d570] &color(darkgreen,){国の&ruby(オオカタ){大体};、宮の東と南に震(東)を首とし坤(西南)を尾とし、北は海につけり。&br;東(西)一百三十七里一十九歩。&br;南北一百八十三里一百九十三(歩)。}; -東西…東は伯耆国境から、西は石見国境まで。「西」の字は見られないが文意から補う。 -南北…北は千酌駅から、南は飯石郡南の備後国境まで --宮…ここに云う宮は、杵築大社(出雲大社)である。出雲郷の条に「所造天下大神之宮将奉面 諸皇神等参集宮處杵築」とあり、出雲で宮と云えば杵築の宮であった。 ***&color(navy,){一百歩&br;七十三里卅二歩&br;得而難可誤}; [#w8910068] ---この3行は書写の際注記が混入したものと考えられている。 ***&color(navy,){老 細思枝葉 裁定詞源&br;亦山野濱浦之處 鳥獣之棲 魚貝海菜之類 良繁多 悉不陳}; [#tddcb800] &color(darkgreen,){老、&ruby(シエフ){枝葉};を&ruby(サイシ){細思};し &ruby(シゲン){詞源};を&ruby(サイジョウ){裁定};す。&br;亦、&ruby(サンヤヒンポ){山野濱浦};の處 鳥獣の棲 &ruby(ギョバイカイサイ){魚貝海菜};の類 &ruby(イト){良};&ruby(サハ){繁多};にして、&ruby(コトゴト){悉};には&ruby(ノ){陳};べず。}; #br ***&color(navy,){然不獲止 粗挙梗概 以成記趣}; [#d62e9a3d] &color(darkgreen,){&ruby(シカ){然};はあれど止むことを獲ざるは、&ruby(ホボ){粗};&ruby(アラマシ){梗概};を挙げて &ruby(フミ){記};の&ruby(オモムキ){趣};を成しつ。}; ***&color(navy,){所以號出雲者 八束水臣津命詔 八雲立詔之 故云八雲立出雲}; [#j41ea616] &color(darkgreen,){出雲と&ruby(ナヅ){號};くる&ruby(ユエ){所以};は、&ruby(ヤツカミズオミヅヌノミコト){八束水臣津命};&ruby(ノ){詔};りたまひしく、八雲立つと&ruby(ノ){詔};りたまいき。&ruby(カレ){故};八雲立つ出雲と云う。}; (白井文庫p04) &ref(http://fuushi.k-pj.info/jpgb/izumos/ifs04.jpg); ***&color(navy,){合神社 参佰玖拾玖所}; [#yd5ffb56] &color(darkgreen,){合わせて&ruby(カミノヤシロ){神社};三百九十九&ruby(トコロ){所};}; ***&color(navy,){壹佰捌拾肆所 &size(9){右神祇官};&br;貳佰壹拾伍所 &size(9){ 不在神祇官};}; [#zeba0d4a] &color(darkgreen,){一百八十四所 &size(9){右神祇官};&br;二百一十五所 &size(9){ 神祇官不在};}; --「上田秋成書入本」・「校注出雲国風土記」では「右神祇官→在神祇官」 ---神祇官神名帳記載の官社が184所、国庁神名帳記載の国社が215所 ***&color(navy,){玖郡 郷 陸拾壹 &size(9){里一百&br;七十九};}; [#s49c6e6f] &color(darkgreen,){九郡 郷六十一 &size(9){里一百七十九};}; --「校注出雲国風土記」では、郷六十二、里一百八十一 ***&size(9){(上部横書き注記)}; &color(navy,){私&size(9){ニ};曰近代十郡有&size(9){リ};能美郡不見&size(9){ヘ};}; [#sf76cbb3] &color(darkgreen,){私に曰く、&ruby(チカキヨ){近代};十郡あり。能美郡見えず}; ---能義郡の古名のようである。因幡の能美郷から野見氏が来たという説がある。 ***&color(navy,){ &ruby(イウ){意宇};郡 &size(9){郷}; 壹拾&size(9){里卅}; 餘戸壹 驛家参 神戸參&size(9){里云};}; [#ue998554] ---意宇にオウではなくイウのルビ。古い時代の読み方らしい。 ***&color(navy,){ &ruby(シマ子){島根};郡 郷捌&size(9){里廿五}; 餘戸壹 驛家壹}; [#r0f91938] --「捌」=「八」、「漆」=「七」、「肆」=「四」 --ルビの「子」は干支の「子(ね)」 ***&color(navy,){ &ruby(アヒカ){秋鹿};郡 郷肆 &size(9){里一十二}; 神戸壹&size(9){里};}; [#ucdc9b96] ***&color(navy,){ &ruby(タテヌイ){楯縫};郡 餘戸壹神戸壹&size(9){里};}; [#w4de4a63] ***&color(navy,){ &ruby(シュツタウ){出雲};&size(9){郡}; 郷捌&size(9){里廿三}; 神戸壹&size(9){里二};}; [#jcc6bf03] ---出雲の読みにシュッタウとルビをふっている。「出雲郷」の場合での呼び方か。 ***&color(navy,){ &ruby(カンド){神門};郡 郷捌&size(9){里廿二}; 餘戸 壹 驛家 貳 神戸 壹&size(9){里};}; [#lc44419b] ***&color(navy,){ &ruby(イいシ){飯石};郡 郷漆&size(9){里一十九};}; [#y96168b7] ***&color(navy,){ &ruby(ニッタ){仁多};郡 郷肆&size(9){里一十二};}; [#x54130fd] ---仁多はニタではなくニッタと呼んでいたようである。 ***&color(navy,){ &ruby(ヲホハラ){大原};郡 郷捌&size(9){里廿四};}; [#v1cac4c0] ***&color(navy,){右件 郷字者 依旲龜元年式 改里為郷 其郷名字者 被神龜三年民部省口宣改之}; [#je73011a] ---- [[『出雲国風土記』意宇郡]]