[[Top]] ○「&ruby(オオユノハラ){大斎原};」 和歌山県田辺市本宮町本宮1 [[地理院地図:https://maps.gsi.go.jp/#16/33.834455/135.774515/]] 祭神: 石祠左 ・中四社(忍穂耳命・瓊々杵命・彦穂々出命・鸕鶿草葺不合命) ・下四社(軻遇突智命・埴山姫命・弥都波能売命・稚産霊命) 石祠右 ・境内摂末社(八咫烏神社・音無天神社・高倉下神社・海神社・滝姫社・地主神社・御戸開神社) 熊野本宮大社の旧社地。元の地名は「大湯原」。 ---[斎]に(ユ)の読みはなく、なぜ「大斎原」と変え、尚(オオユノハラ)と読んでいるのかは不明。 元は湯が涌いていたのかと思われる。 明治22年(1889)、熊野川洪水により社殿流出。上述各社を石祠にて造営。 平成12年(2000)大鳥居建立 社地は熊野川と音無川に挟まれた場所で、かつては5棟12社の社殿と境内摂末社があったという。 上四社は、北方の熊野本宮大社に移されている。 ・上四社(夫須美大神・速玉大神・家津美御子大神・天照大神) 又、元社地にあった「八百万神社」は「満山社」という熊野本宮大社の境内社となっているようである。 ---- ---現在熊野本宮大社では、夫須美大神(素盞嗚尊)・速玉大神(伊邪那岐大神)・家津美御子大神(伊邪那美大神)としているが、奇怪である。 ・「夫須美大神」と云うのは、古事記に記された「熊野久須毘命」で[久]を[夫]に誤写したものであろう。 ・「速玉大神」というのは日本書紀に記された「速玉男命」であろう。 ・「家津美御子大神」と云うのは先代旧事本紀に記された「&ruby(アマノミケモチノミコト){天御食持命};」であろう。&ruby(カムミムスビノミコト){神皇産霊尊};の子で&ruby(キヒノアタヒ){紀伊直};等の祖とされる。