神社a
○「波多神社」
島根県雲南市掛合町波多344 地理院地図
主祭神:波多津美命
「出雲国風土記」飯石郡波多郷の地名縁起となっている。
神門川(神戸川)の支流波多川上流の地にある。附近は宮内地区と呼ばれてきた。
志許斐山を神体山とし元宮は志許斐山麓の宮ヶ峠に在ったという。
古の志許斐山というのは今の野田山地理院地図のことで、承應2年(1653年)洪水により社地崩壊。
その後、現社地の後方の山地理院地図を志許斐山と見立て、現在地に移転したという。
この附近は産鉄地であり、金屋子神信仰の一族とは別の一族が古い時代に鉄を求めて開拓したのだと思われる。
渡来系の一族であろう。
波多都美命は三女神ともされている(中津島比売命・市杵島比売命・奥津比売命)がこれは宗像三比売であり、文亀3年(1503年)の頃であるから、刀根・獅子・八神の三地区に分社した際の付会であろう。明治期に合社。
同じく宮内地区にあった「剣神社(剣大明神:1537年に創建)」を合社している。
又、1341年に石清水八幡宮から勧請された波多八幡宮も合社されている。
(波多神社)
・右手赤い鳥居奥は稲荷社
(波多神社 本殿)
(波多神社 案内1)
(波多神社 案内2)
(波多神社 案内3)
(波多神社 今の志許毘山1)
(波多神社 今の志許毘山2)
(波多神社 野田山 元の志許毘山)
(波多神社 野田山山麓 波多神社元社地か)
- 志許斐山…古事記神代、伊耶那岐命が黄泉比良坂から戻る際「吾者伊那志許米志許米岐穢国於到而在祁理」とある。
通説では「志許」を「醜」と解していたりするがここでの「志許」には当てはまらない。
[志]は(心の行き向かう事)。
[許]は([午=杵(きね)]形の神体に願いを告げ祈ること、そして許しを得ること)。
[斐]は(あやがあって美しい様子)。
してみると「志許斐山」というのは(人が願いを祈りそれを神が許す美しい山)という意味を表している。
又大己貴神を古事記で「葦原色許男」、書記で「葦原醜男」と記していたりするが、これらはいずれも蔑称であり「葦原志許男」とするのが本来であったであろう。即ち(神の許しを得て心の向かうままに葦原を行く男)というのが本来の意味であろう。