これ迄仏教関連のことはあまりというか殆ど記したことがない。

父方祖母は真言宗のお寺さんの出だし、母方祖父母は浄土真宗の安芸門徒。
学生の頃には臨済禅にはまっていたりもした。
どこぞの評論家のように「私は仏教徒です」等と宣言して、何事かを語る様な真似をしなくても、
がきの頃から染み付いているものはある。

それでも、宗教というもの全体に一種の抵抗感がある。
なんだかんだ云っても胡散臭い。
栂尾明恵上人以外には不淫の僧はいないと云われていることがその事を物語る。

たとえば仏教に関して云えば、輪廻を断ち解脱すると云うのは生命の連続性を断つと云う事に等しく、
生きることが罪でしかない。
他の宗教も似たり寄ったり。
人の不安や恐怖に巣食う。
そういう本質でありながら、宗教対立で死を要求するなど、非人間的以外の何ものでもない。

死後の世界など無い。少なくとも過去数千年証明された事実としてはない。
「神が世界を造った」?笑止。
それが科学的態度というものだ。

ニーチェが「神は死んだ」と云ったとき、ニーチェは神を信じていた。
生きていたと信じていなければ死んだと云えるはずがない。

無論、元々神などいないのだから、死ぬもなにもないのではある。
神も仏も人がつくったものでしかない。ただの方便でしかない。

それはさておき、観音について少々記してみた。
「観音菩薩」としなかったのは、菩薩は過程であるから。

ああっと誤解の無いように記しておくと、信仰に生きる姿を否定しているわけではない。
それはそれで幸福な事であるかも知れない。
祖母は阿弥陀様を信心し、穏やかな最期を迎えたのであるから。



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Last-modified: 2014-07-03 (木) 06:24:12 (3584d)