神社a
◎「來次神社」(来次神社)
島根県雲南市木次町木次782 地理院地図
主祭神:大己貴命・武御雷命
祭神:誉田別尊
霞龍山の中腹にある。
元は現在地西方の「跡の城」にあったが、 治承年中(1177~1180)に社が壊れ、そのままであったところ、源頼朝により出雲の八幡宮に安堵状が出されたのを機会に、「来次八幡宮」に合祀されたという。
明治4年に「来次神社」と改称し、八幡宮を相殿とするようになった。
桑原文庫「雲陽誌」 大原郡-1-
・k5「来次神社 延喜式風土記に尒載累處奈里 古老傳云治承年中頹破して 其後建立なし~」
・k6「八幡宮 ~治承四年十月十五日山城國石清水よ里来次の社へ勧請春~」(春は[す])
(地誌大系「雲陽誌」では「来次」を「來次」と変えている)
(来次神社)
(来次神社)
(来次神社 拝殿)
・扁額は「来次神社」
(来次神社 本殿)
・八幡社で良く見られる「流造り」である。
(来次神社 境内社1)
・左から「金屋子神社」「風神社」
(来次神社 境内社2)
・左から「稲荷神社」「金蔵神社」「鎮守神社」「紺姫神社」
(来次神社 境内社3)
・左から「天満宮」「若宮神社」「幸神社」「社日」
- 社名を「來次神社」とし、旧字の[來]を用いている理由は不明。ただの趣味かと思われる。
延喜式では「来次神社」と記され[來]ではない。
『出雲国風土記』大原郡では「支須支社」
出雲国風土記・延喜式に記されていた元々の来次神社は、平安末期に社殿損壊・放置されており、
今の「来次神社」は、長く「来次八幡宮」であったのであり、社格を得るために延喜式記載の「来次神社」に改称した様であるから、
云ってしまえば別物である。
自然災害によるものなのか、源平の争いにでも巻き込まれたのか、元の「来次神社」がなぜ損壊したのかは不明であるが、八幡宮に合祀されることで名は残った。
「靇神(オカミガミ)」という石碑があるが、霞龍山の山神を祀っているのかと思われる。