神社a
◎「都辨志呂神社」
島根県安来市広瀬町広瀬1415 地理院地図
主祭神:素戔嗚神
祭神:岐戸神
社伝では、素戔嗚尊が岐戸神の道案内により能義地方を巡行した際、
岩坂から駒返峠を超えて飯梨川に出ようとして、現在の広瀬町広瀬本町札場のあたりで休憩し、安来方面に向かう際杖を置き忘れ、里人がその杖と尊が腰掛けていた石を霊代として、今の鍛冶町後丁に祠を建てて祀ったのが縁起という。
古くは「杖代社」と呼ばれていた。
社地は水害や火災などのため現在地に移転。
- 広瀬本町は現社地東方の吉田酒造のあたり。鍛冶町は現社地北東の市立病院のあたり。
・『出雲国風土記』意宇郡2で「都俾志呂社」
- [俾](ヒ・ヘイ・ハイ」)は身分の低い人・召使いの事、転じて(助ける・役に立つ)の意味を表す。
・「延喜式」巻10出雲国で「都辨志呂神社」
・「延喜式神名帳註」-下-k166で「都辨志呂神社・日本紀云伊弉諾尊至泉津平坂投其杖是詔岐神」
- 「延喜式神名帳註」の注記は、「日本書紀」神代巻-上-第五段一書六の内容と思われる。
これは「岐神」の縁起で、都辨志呂神社とは直接の関係はない。ここでは杖のことを岐神と呼んでいる。
- 現社名は延喜式によるものであろうが音をあてたものであり、字義からは風土記の「都俾志呂社」の方がふさわしい。
社伝には岐戸神を道案内役としているが、峠道を越すに際し、素戔嗚尊が杖を用いて山道を進み、平坦地に着いてからは杖が不要になったので置いていったと云うことであろう。
(都辨志呂神社 参道口)
(都辨志呂神社 参道)
(都辨志呂神社 参道2)
(都辨志呂神社 拝殿)
(都辨志呂神社 拝殿扁額)
(都辨志呂神社 拝殿内)
(都辨志呂神社 本殿)
(都辨志呂神社 本殿扁額)
(都辨志呂神社 境内社)
・稲荷社と左下手に大地主社
(都辨志呂神社)
・右に塩釜社。左に山中社・天満宮
(都辨志呂神社 境内)
・手水と阿形狛犬
(都辨志呂神社 境内奥)
・社殿奥左手に階段
(都辨志呂神社 境内奥2)
・平地があるのみ
(都辨志呂神社 境内奥3)
・なにか不明な小穴がある。
(都辨志呂神社 月山富田城遠望)
(都辨志呂神社 月山遠望)