神社a

○「市森神社
島根県出雲市稗原町2571 地理院地図

主祭神:阿陀加夜怒志多岐吉比売命

稗原町石畑の地にある。
色々合社されている神社である。
(市森神社)
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参道に入ると右手高台に境内社が3社
「秋葉神社」「武内神社」「日吉社」
そして「社日の石碑」社日の前庭に石場があり、なにがしかの意味があるのであろうが不明。
この高台からは木間から大袋山が望める。
(市森神社 参道右手高台)
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(市森神社 参道右手高台石場)
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長い参道を行く。
(市森神社 参道)
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まずは境内案内
(市森神社 案内)
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市森神社
主祭神 阿陀加夜怒志多岐吉比売命(あだかやぬしたききひめのみこと)
旧配祀神 天照大神 高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
新配祀神 肥長比売命(ひながひめのみこと) 天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
     香之背男神(かのせおのかみ)
 
例祭十一月三日 夏祭七月二十日
市森神社のもとは出雲国風土記にある
加夜社で、主祭神の御父神は大国主大神
御母神は朝山神社の玉邑比売命(たまのむらひめのみこと)といわれ
ます。この社は加夜床の地にありました
が、中古市森へ奉遷して布場の守神とさ
れて市守社、後市森社とよばれました。
 肥長比売命(ひながひめのみこと)はもと風土記の保乃加社(ほのかのやしろ)
式内社の富能加(ほのか)神社の御祭神であります。
昔、石畑清谷へ星神が天降られたので、
人々はこの星神を合祀して星宮神社とよ
ぶようになったといわれます。この社は
山寄鐘築境あたりにあったようです。
 この両社は石畑の現在地へ合祀されて、
御本殿は同形同大の二社でありましたが、
昭和二十七年遷宮の時今の一社に合殿と
なり幣殿も新設され、また大正四年改築
の拝殿は七十畳敷の壮大さであります。
         市森神社 社務所

(市森神社 本殿)
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(市森神社 境内社「若宮神社・若宮社」)
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・若宮神社 祭神 若倭部臣・神門臣・吉備部臣
・若宮社  祭神 若倭部・刑部・日置部

(市森神社 境内社「貴船社・天王社」)
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・貴船社 祭神:高靇神(たかおかみのかみ)
     合殿:手置帆負命(たおきほおいのみこと)彦狭知命(ひこさしりのみこと)
・天王社 祭神:須佐之男命(すさのおのみこと)


案内によれば、阿陀加夜怒志多岐吉比売命の父は大国主大神、母は玉邑比売命。
又「加夜床の地」とあり、「阿陀加夜怒志多岐吉比売命」の「加夜」は地名を示していると思われる。
出雲風土記抄・雲陽誌では多伎町多岐の現「加夜堂」が『出雲風土記』神戸郡記載の「加夜社」としている。
若宮神社の案内文に「昔 加夜里の土居(今の市森の一部)~」との記述があり、この辺りを「加夜里」と呼んでいたというが疑問。

  • 雲陽誌p288稗原の記述を見ると、稗原に市森長者と呼ばれる者がいて、稗原に市を立てて財をなし、市場の守り神として元禄15年前後、あちらこちらから神社を勧請していたようである。これからすれば市森は市守が元の意味だと思われる。
    市森長者は境内若宮社の祭神となっており、現社家の祖のようである。
    この市森長者が多岐から加夜社を勧請し、市森神社の祭神にしたものと思われる。
    多岐の「加夜社」が神仏習合で「加夜堂」となり曖昧になったことから、今では市森神社が『出雲風土記』神戸郡記載の「加夜社」を称しているようであるが、あり得ない。
    「阿陀加夜怒志多岐吉比売命」を主祭神として祀る神社は多くはないので、脚色なく奉祭してもらいたいものである。

ついでに記すと、出雲市の市森神社案内
『「出雲国風土記」には、稗原地区には「加夜社(かやしゃ)」と、「保乃加(ほのか)神社」の2社があったと記されています。』
と記しているが、『出雲国風土記』にそのような記述はない。
そもそも『出雲国風土記』には「稗原」の記述すらない。
この案内、出鱈目すぎていちいち指摘する気もしない。玉依姫命とか天御中主命とか香香背男神とかあきれるばかり。

(ヒエ)は稲作が広まる前、古代から食用にされていた雑穀であるが、荒れ地や寒冷地でも育つことから飢餓対策として栽培が続けられてきた。
江戸期に米は武家の領主に年貢として召し上げられ、農民の口に入ることは稀であり、粟や稗などの雑穀が食用にされていた。
今では鳥の餌として用いられる。
稗原(ヒエバラ)というのはそのような稗でも育つ地という名付けであろう。
無論今では米の品種改良が進み、稗原でも稲作が行われている。


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Last-modified: 2023-05-01 (月) 14:50:43 (359d)