○「駒ヶ嶽神社」(横手)
山梨県北杜市白州町横手3804-1地理院地図
主祭神:大己貴命
甲斐駒ヶ岳(標高2967m)山頂に社があり地理院地図それを本社とし、ここを前宮と呼んでいる。
由緒では武御名方命が、この地に来た際、甲斐駒ヶ岳の山容を見て「この山はいと高く清々しき地なり、故此処に吾御親の神を祭るべし」と語ったことが始まりだという。
北方の尾白川渓谷そばにも「駒ヶ嶽神社」があり、それを「竹宇駒ヶ嶽神社」と呼び、横手の「駒ヶ嶽神社」を「横手駒ヶ嶽神社」と呼び分けている。
甲斐駒ヶ岳は白鳳2年(662)役行者がこの山中で修行し開闢したと伝える。
長く入山禁止の山であったが、文化13年(1816)小野権三郎(延命行者)が許可を得て入山し登山道を開き、駒ヶ岳講が盛んになったという。
本社・前宮というのはその頃からのことであろう。
・「山の神の講」というのは、山の神は春に山から降り、秋に山に戻るといわれることから、その送迎を行うお祭りのために集まる集団のことを呼ぶ。
山道の整備をし、山や水源の手入れを行い、山の神をもてなす行事であり、山から恩恵を受ける者達が担ってきた。
山の神は晩秋には山に戻り眠りにつくので、かつては冬には山に入らないのが当たり前であった。
境内には神仏習合の名残である修験の祠が多数ある。
例えば摩利支天は手力男命とされる。
摩利支天は朝日が昇る前に周辺を照らす陽炎の象徴であり、姿は見せない。
太陽の象徴である大日如来の先払いとして威光を示す仏教の守護菩薩とされた。
天照大神の岩戸隠れの際、手力男命は姿を隠して潜み、岩戸を天照大神が少し開いたとき引き出した。
姿を隠していたことから摩利支天になぞらえられた。
武家は姿を見せず力の強い摩利支天(手力男命)を戦いに利をもたらすとして信奉していた。
摩利支天は元々は梵天の娘である。
神仏習合はその程度に適当であり言ってしまえば他愛のないものである。
(横手駒ヶ岳神社)甲斐駒ヶ岳

・左手奥、雲のかかった山が甲斐駒ヶ岳