神社a
神社島根
◎「火守神社」
島根県出雲市宇那手町1314地理院地図
主祭神:櫛八玉命
元は宇那手村右谷の火鑚瀧の淵近くに「火鑚社」として鎮座していたという。
明和2年(1765)に村内平林(現社地南方)に遷座し「火切大明神」と呼ばれていた。
明治4年(1871)に「火守神社」と称する。
明治40年(1907)に現社地にあった熊野神社に村内各社(八幡宮・朝間神社・大歳神社)とともに合社し「火守神社」と改称した。
・「出雲風土記抄」では社名のみでこれという記載がない。
・「雲陽誌」神戸郡-2-宇那手k21で「火鑽名神 軻遇突智 闇龗二神を萬つる 天正三年古志定信建立 萬つり日十一月朔日奈里 火鑽瀧とて髙さ一丈麓に瀧譚あり 廣さ一丈五尺旱魃の時里民群集して此瀧の下にて雩越すと奈む側に荒神山あ里」
・「出雲国風土記考証」p270で「火守社 風土記考に宇那手の火守大明神といふ。火之軻遇突智命を祀る。」
- 風土記考というのは横山永福「出雲風土記考」の事であろう。
- 経緯から見ると、本来は「軻遇突智」を祀っていたのが「火鑽社」で、明治のはじめに「火鑽社」という社名から、火鑽が食事の際に起こす火と考え、「櫛八玉命」に変えたものと思われる。
「火守社」という社名は「阿遲須伎高日子命」-「多伎都比古命」-「鹽冶毘古命」-「焼太刀火守大穂日子命」の系譜にある「焼太刀火守大穂日子命」の「火守」と考えられる。
この神は神名から刀鍛冶の神であり、鍛冶の火を起こす作業と刀剣を研ぐ作業から軻遇突智と闇龗を祀っていたのでありそれが「火鑽社」であったと考えられる。
雲陽誌に雨乞いの話があるが、刀剣が露を帯びることから雨乞い神事に際し刀剣を用いることがある。そういう経緯であったのであろう。
「伊保神社」で記したが、斐伊川両岸で「焼太刀火守大穂日子命」と思われる刀鍛冶の神を祀っていると思われるのは興味深い。
(火守神社)

(火守神社)天満宮

(火守神社)

(火守神社)

(火守神社)

(火守神社)

(火守神社)

(火守神社)

・左:秋葉社 右:若宮社
(火守神社)包丁塚

(火守神社)

(火守神社)

・左:稲荷社 右:御碕社
(火守神社)

(火守神社)

・近くで稲刈りがあり、稲架掛けされていた。