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福井県福井市足羽1丁目8-25 地理院地図
主祭神:継体天皇(
公式サイト:https://asuwajinja.jp/
男大迹王が、越前平野の治水の為、足羽山に宮を造り、宮中より
又、大伴金村の迎えにより越前を去るに際し、自らの
坐摩巫祭神は次の5神を言う。
・生井神・福井神・綱長井神は共に井戸の神。
・波比祇神(波比岐神)は境界の神・門の神。
・阿須波神は土地の神・敷地の神。
大宮地之霊の表記は古語拾遺に記された表記であり忌部の影響であろう。
一応記しておくと、現在の「福井」という地名は福井神とは関係がない。
信長が越前朝倉氏を滅ぼした後、一時朝倉氏家臣が越前の国を所領としたが、内紛の後一向一揆が起こり、これを信長軍が制圧した後、柴田勝家の所領とした。
勝家は北ノ庄に北庄城を築いた。北庄城は安土城を模して作られ、九層の天守を持つ壮大な城であったと伝える。(一部発掘され、柴田公園となっている)
北ノ庄というのは足羽山北方を指し、足羽山周辺が鎌倉期伊勢神宮神領であり足羽御厨 と呼ばれており、その北方であることに由来する。
その後勝家は秀吉に攻められ城に火をかけ、妻としていた信長の妹お市の方とともに自害。
家康の次男で、秀吉の養子となっていた羽柴秀康は更に結城晴朝の養子となって結城秀康と呼ばれ、関ヶ原合戦に際して上杉勢を防いだ功により越前を所領とし、北庄城を改築し松平秀康を称した。(越前松平家)
3代松平忠昌の時北ノ庄を福居と改め、後に城内の井戸に因み福井と改めた。
結城秀康の3男松平直政が雲州松平家の祖となっている。