神社a

◎「佐太神社」
島根県松江市鹿島町佐陀宮内73 地理院地図

北殿・正中殿・南殿の三殿並立の社である。

三殿の祭神は時代によって変遷している。

現在の祭神
北殿:天照大神・瓊々杵尊
正中殿:佐太大神・伊弉諾尊・伊弉冉尊・事解男命・速玉男命
南殿:素盞嗚尊・秘説四座

北殿摂社 田中社
 西社(木花開耶姫命)・東社(磐長姫命)
北末社
 山王社(大己貴命)・宇智社(天児屋根命)・玉御前社(玉屋命)・竹生島社(竹部島神=稲倉魂命)
南末社
 戸立社(手力雄命)・振桙社(天鈿女命)・垂水社(岡象女命)・天神社(菅原道真)
岡見八幡宮・橘稲荷社・客社・宇多紀社

他に
北殿南田末社 早人社(早人神)
母儀人基社(伊弉冉尊)
随神社 南社(天忍日命)・北社(大来目命)

http://sadajinjya.jp/

『出雲国風土記』秋鹿郡で「佐太御子社」

・「延喜式」出雲国秋鹿郡で「佐陀大社」

正中殿祭神「佐太大神」とあるが、以前は「佐太御子大神」であった。
南末社「垂水社」祭神を(岡象女命)と記しているのは(罔象女命)の事であろう。
境内案内に、「早人社」「母儀人基社」「随神社」については記されていない。
(早人というのは薩摩の隼人の事であり、佐太大神に従っていた)

田中社の二社が背を向けて建てられているのは、仲が悪かったという事ではなく、別れ別れになったことを表しているのであろう。
西社(木花開耶姫命)は縁結びの神、東社(磐長姫命)は縁切りの神とされ、かつては並列して建てられていたが、誤って参拝するものが多かった為現在のように背を向けるように建て直したとも云う。

明治の神社改めで松江藩神祠懸から、「佐太大神」を「猿田彦命」とするように指示があり、かなり抵抗したようだが、最後には「佐太御子大神」を「猿田彦命」とすることで妥協したようである。
佐太大神を猿田彦命とするのは、平田篤胤が著書「古史伝」に記した説であり、語呂が似ているというくだらぬ理由による。
この松江藩神祠懸は他所でも強引な祭神変更を強要している。

・出雲国風土記考証p156で後藤は「佐太御子とあるは、佐太日子と書くに等しい。~佐太大神とは猿田彦命である。」と記しているが、そうであるなら「佐太日子」と記せば済むことであり、あり得ない。「佐太日子」と記した例はない。
又無条件に「佐太大神とは猿田彦命である」としているが、猿田彦命は古事記による蔑称であり、同一神であるとするなら古事記の方を改めるべきである。
後藤は「秘説」としていることを非難しているが、秘説とせざるを得なかったことに配慮考察がない。


「日本伝説集」S48年宝文館刊に、清水兵三という人からの情報として、

「出雲国の佐太神社の奥の院の祭神は、ハハギノフトモトと云う神様である。
或時、此神様が戦に行かれるとき、ところの者が、山がちの穿く足なか草履を差上げたところが、この草履のために、神様は戦に負けられた。
それで、今でも、此草履を穿いて、参詣をすると、罰があたる。」

とあり、気になったので掲載しておく。

佐太神社南側奥を入り、後背の三笠山中腹にある磐境で、比婆山から伊弉那美尊の神陵を遷したと伝えられる母儀人基社がこれにあたるのであろうと思われるが、草履に纏わる伝説であり、伊弉那美尊との関わりが良く解らない。
安来市の比婆山久米神社にある伊弉那美尊の神陵を少し小さくしたような磐境なのだが、神陵を遷したという話は久米神社側には無かったように思う。それはともかく、どちらも草履無しの素足では行き難い山中にある。
ついでに、「母儀」自体は(ボギ)と読むのが正しい。
「母儀人基社(ボギノヒトモトシャ)」という名称は不思議な名称である。儀は礼を意味する。(人々がこの場所から母なる伊弉那美尊の陵を礼拝する場所)と云う意味であろうかと思われる。
現在は(ハギノヒトモトシャ)と読んでいるようである。


(佐太神社)
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(佐太神社 由緒書)
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(佐太神社 母儀人基社 参道口)
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・以前より整備され歩きやすくなっている。

(佐太神社 母儀人基社)
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・以前は簡素なものだったが、現在は切石などで囲まれている。

(佐太神社 母儀人基社 磐境)
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(佐太神社 母儀人基社)
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・全体は八角形に切石で囲まれている。
 伊弉那美尊の神陵は、三笠山山中にあると思われる。この磐境は祭祀場跡であろう。
 現在佐太神社による祭礼は行われておらず、地元の敬神婦人会が祭礼を行っているらしい。


『出雲国風土記』嶋根郡では、「佐太大神所坐也」とあり、佐太大神は加賀の神崎にで生まれ、そこで育ったと伝える。
一方、『出雲国風土記』秋鹿郡では、「佐太御子社」が記され「佐太大神の社」も記されている。


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Last-modified: 2024-02-29 (木) 12:45:25