神社a
神社島根
◎「能呂志神社」
島根県出雲市野石谷町664 地理院地図
祭神:伊弉諾尊・伊弉册尊・天照大神・素盞嗚尊・天児屋根尊・瓊々杵尊
『出雲国風土記』楯縫郡の「乃利斯社」。「延喜式」巻10-30で「能呂志神社」
現社名は延喜式によるもののようだが、『出雲国風土記』楯縫郡の「乃利斯社」は「海苔石」の変じたものと思われる。
延喜式の社名は誤って伝えられたものであろう。
ここだけに限らないが、風土記のほうが延喜式より古く原初的であるにも関わらず、明治期には延喜式記載の社名に変える神社が多かった。
原社地南東約500(m) に元社地といわれる場所があり、そこに「海苔石」と呼ばれる不思議な石がある。地理院地図
海苔の取れる時期になるとこの石にも海苔(苔?)がつき、海苔の採取時期であることを知らせたという。
(能呂志神社)
(能呂志神社)
(能呂志神社)
(能呂志神社)
(能呂志神社)
(能呂志神社)
(能呂志神社)
(能呂志神社)
(能呂志神社)
(能呂志神社)
(能呂志神社)
(能呂志神社 元社地 海苔石1)
(能呂志神社 元社地 海苔石2)
・民家裏の畑の中にある。
- 延喜式で「能呂志神社」とあるのが、出雲国風土記の「乃利斯社」であるかどうかは少々疑わしい。
乃利斯が海苔石であるのは理解できるが、能呂志は狼煙であって、野石谷に狼煙に関連する事柄を見聞しない。
出雲弁でノリをノリョ・ノロと呼ぶのであろうか。不明。
- 「能呂志」については、今の唯浦に能呂志島・能呂志濱があるということが『出雲国風土記』楯縫郡に記されていることから
唯浦に何らかの関係があるものと思われる。
- 海苔石に関しては、三津の西方の浜(野石土)からこの地に移ってきたものがあり、その者が石を運んできたともいう。
野石土(のしど)
野石土を航空写真で見ると東西2kmに渡り洗濯岩が広がり、十六島鼻や小伊津海岸よりも遥かに広く、楯縫海苔の中心的な採集地だったものと思われる。地理院地図
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