神社a

◎「酒垂神社」

兵庫県豊岡市法花寺725-1 地理院地図

主祭神:酒美津男命(酒弥豆男命)

配神:酒美津女命(酒弥豆女命)


・社伝によると675年に酒造3神を祀ったのが創建。
この地方を治めていた城崎郡司「物部韓国連久々比命」が神に供える米を穫る田に酒所をつくり、
酒解子神(サカトケコノカミ)大解子神(オオトケコノカミ)子解子神(コトケコノカミ)の酒造神を祀って酒を醸造し、これを祖神に供えて五穀豊穣を祈願したという。

・境内に神田があり、奥の谷の水を酒造に用いたと伝える。

古代の酒は口噛酒(クチカミザケ)であったといわれる。米を口で噛みつぶし、吐き出しそのまま放置して自然発酵させたものという。
縄文後期陸稲栽培の頃から作られたと考えられている。ある実験ではうまく行けば10日ほどでできるという。
その後麹菌を用いた酒造りが行われるようになったが、その最初の記録は8世紀『播磨国風土記』であり、蒸した米にカビがわき、それで酒を作ったという。
米麹を用いた酒造りは4世紀頃に始まったのではないかと考えられているが定かではない。
日本酒造りで祀られる神は少彦名命の系統と酒解子神の系統の2系列あり、おそらくは口噛酒が少彦名命で、米麹酒が酒解子神であろうかと思われる。
八俣大蛇退治に素盞鳴尊が酒を作ったというが、果実混合酒であり日本酒とは言えず、日本酒づくりで素戔嗚尊を祀っている例は殆どない。
「酒解子神」というのは米をバラバラにして溶かす神という意味だと考えられる。即ち発酵の神である。多くの酒造家でこの神を祀っている。
酒造りは元は女性(刀自)の作業であったが、江戸期日本酒づくりの専門指揮責任者を「杜氏(トウジ)」と呼び、但馬杜氏に崇敬されてきたのが「酒垂神社」であった。

酒美津男(酒弥豆男命・酒部公麻呂)・酒美津女(酒弥豆女命・山鹿比咩)は兄妹で、仁徳期に半島からやってきて宮中で造酒司として酒造りを担ったという。

明治に入り、税収目的で酒造りは免許制になったため、民間での自由な酒造り行われなくなり、「酒垂神社」では祭礼で白酒をふるまっているという。


(酒垂神社)
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Last-modified: 2026-04-05 (日) 03:30:13