神社a
○「熊野神社」
鳥取県日野郡日南町阿毘縁2489 地理院地図
主祭神:伊弉冉命
祭神:速玉男命・事解男命・倉稲魂命・金山彦命・大山祇命
元社地は御墓山山頂(758.4m)にあったが、中古の時代に参拝が不便なため現在地に移されたという。
元は「久米神社」と称していたが、出雲意宇の熊野神社(熊野大社)にならい「熊野神社」と改称。
明治以前には「熊野権現」と称していた。
地元伝説では、伊弉冊尊が猿隠山(817m)で亡くなり葬ったのが御墓山であるという。
出雲側の比田でも同じ伝説がある。
(熊野神社)
(熊野神社 案内板)
(熊野神社 鳥居)
・扁額には「熊野大権現」と彫られている。
(熊野神社 社殿)
(熊野神社 本殿)
(御墓山登山口)地理院地図
(御墓山登山口 案内板)
(御墓山登山口 登山路案内板)
・この地図はpdf板が「日南町」のホームページにある。阿毘縁むらづくり協議会作
(御墓山登山口 案内板)
・この標識から右方向に曲がり、田畑の間の道を進むと登山口になるので暫くは渓流沿いに登る。
地理院地図
(御墓山登山路 宣揚祭跡)
・途上石組みがあり「宣揚祭催事場跡」と墨書されている。
地理院地図
(御墓山 山頂三角点)
(御墓山 山頂部)
・イチイの木であろうと思われる木が植えられている。
(御墓山 小祠)
・山頂から西方やや低い場所に小祠がある。地理院地図
かつてこの附近から古銭の類が出土したという。
(御墓山 小祠後背)
・小祠の後背は小高くなっているが県境碑があるだけである。
(猿隠山 登山口)
・砥波峠にある。石碑は日蓮宗のもの。阿毘縁の解脱寺が建てたものかと思われる。
元々の登山口はここではないように思われる。無駄に上って降りることになる。
が、一応整備はされている。
(猿隠山 山頂)
・山頂までの道は整備されており、山頂も切り開かれている。美保関まで遠望できる。
(猿隠山 展望岩)
・北に下ったところにある。
(猿隠山 東麓岩場)
・名前は不明。山頂東麓にある巨大な岩場。殆ど知られていないのであろう。高低差約30(m)
おそらくこの岩場附近に岩穴があると思われるが未確認。
仮に「命隠れの岩」と呼んでおく。
それなりの装備が無いと危険なので他日を期す。
- 御墓山で特徴的な点は岩がない点である。巨岩も腰掛ける岩もない。土の山である。
無論地中にはあるのであろうが、地表は隈笹の根が張り渡っており、岩らしき物は渓流部を除くと見当たらない。
それ故、雨天後暫くは足元がぬかるむであろうから登山は避けた方が良い。
又、その様な山であるから伊弉冊尊の埋葬場所とされたのかとも思われる。
- 熊野神社はかつて、元社が伊弉冊尊の墓所であると称することをひどく批判されたことがあるようで、伝説表現は控えめである。
しかしながら、むしろ手垢に染まっていないと云う点で信頼し得る。が、今のまま静かに守られていて欲しいと願う。
- 古事記に「故其所神避之伊邪那美神者葬出雲國與伯伎國堺比婆之山也」と記された「比婆之山」というのはこの「御墓山」のことであろう。戦前内務省は「御墓山」を「伊弉冉尊御陵流伝地」と指定していた。
「雲陽誌」能義郡東比田では「猿隠山」を「比蔵山」と記している。
- 広島県の「比婆郡」というのは明治期に定められた郡の名で、元は「恵蘇郡・奴可郡・三上郡」であり「比婆」の地名は古いものではない。今「比婆山」と呼んでいる山名も元は「峯山」と呼ばれていたもので古いものではない。そもそも今の「比婆山」は出雲国と備後国の堺には近いが、出雲国と伯伎国の堺ではない。
- 尚、牛ノ首山847(m) や高橋780(m) と呼ばれる場所は展望は効かない。途上稜線部から木間に船通山などが垣間見える場所はある。
八石谷も特には何もない。