神社a

○「除川(ヨケガワ)神社」(與都彦命神社)
島根県雲南市大東町小河内167 地理院地図

主祭神:大山祇命・神素盞鳴命

祭神:與都彦命

参道口標柱には「除川 與都彦命両神社」とあり、拝殿奥には「除川神社」と「龍王 與都彦命神社」の2つの社が並んでいる。

・雲陽誌には「除川神社」という記載はないが、コマ110p207小川内で「天王 素盞嗚尊なり」「山神 天王山神を一社に合まつる、祭禮二月十一日九月九日なり」とあるのが、今の「除川神社」の事であろう。

・「出雲国風土記考証」p346で「除川(ヨケガハ)社 風土記抄には小河内(をかはち)大明神といひ、風土記考には遠所(えんじょ)高木(たかき)大明神といつて居るが、これは小河内の方が正しかろう。除川社は、海潮村小河内(をがはち)の東北部にあって、熊野村へ越す(さい)(たは)の西々南にあたる。
 安永二年の棟札の表面には、奉造営龍王社一宇、本願(ほんぐわん)坂根和十、神主中澤石見守平秀清とあり。その裏面に「當社御祭神者淀本庄(よどほんじょうに)坐す淀彦(よどひこ)命也、古老傳曰往昔顕然社柄(けんぜんたるやしろがら)而最盛矣、雖然中世以降及び零落年久為野社僅祭之而已、今欲謀其再興一祠建立于小河内大明神山神社(さんじんじゃの)境内者也、于時安永二年巳三月十五日」とある。
 この淀彦命は、文徳實録に、仁壽元年出雲國輿都彦命に授従五位下とあるものにあたる。慶長十九年九月九日の棟札には、奉造立小河内村除川大明神御社一宇、本願坂根孫兵衛、神主別火淡路守秀家等の文字がある。肥前の輿止日女神社も、筑後の豊比咩一名淀姫神社も、海神豊玉姫命を祀るから、此處の淀彦命も豊玉姫命の祖神と考へられ、海神として社を龍王社とも名つけたものであらう。」
安永2年(1773)・慶長19年(1614)・仁寿元年(851)

  • 「淀本庄坐す淀彦命」というのは良く解らないが、京都市伏見区淀本町の「與杼神社(与杼神社)」の事かと思われる。しかし、ここの祭神名に淀彦命はない。「與杼神社」社伝では肥前の「輿止日女神社」から勧請したとも云う。
    「與杼神社」・「輿止日女神社」・「豊比咩神社」の祭神「豊玉姫命」は、豊玉彦命の娘と云われ彦火火出見命(山幸彦)に嫁ぎ、鸕鶿草葺不合尊を産んだとされるが、又、神功皇后の妹とも云われ定かではない。
    何れにせよ、これら三社は共に元は川の近くに建てられた神社であることに共通点がある。
    『出雲国風土記』大原郡に記された「除川社」の祭神が誰であるかは不明だが、「除川 與都彦命両神社」とある事からすれば、與都彦(ヨトヒコ)命ではなく、大山祇命・神素盞鳴命の何れかであろうと考えられる。「山神社」と「天王社」を合社して「除川社」としたものかと思われる。そこに「與都彦命」を龍王として「龍王社」を祭祀したのが今の「除川神社」なのであろう。
    この地は赤川の源流域にあたり、洪水の多かった川であったから、海神であり水を司る神としての「與都彦命」を洪水除けとして祀ったのであろう。
    現在は近在一家のみにて護られているという。


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Last-modified: 2022-07-19 (火) 07:34:12 (73d)