神社a
○「諏訪神社」
島根県雲南市大東町仁和寺1719-1 地理院地図
主祭神:武御名方命
天平年間(729-749)信濃国諏訪南方刀美神社(現「諏訪大社」)より仁和寺庄に勧請。度々の火災により永禄年間(1558頃)現在地に移転。
『出雲国風土記』大原郡には記載がない。
雲陽誌k105p197では「諏訪大明神」と記されている。
明治2年(1869)に「諏訪神社」と改称。
境内には椎(スダジイ)の大木が数本ある。樹齢300年前後。
社殿後背の諏訪山山中に、4基の円墳が確認されており、諏訪神社古墳群と呼ばれている。
一号墳は頭頂部が削られておりそこに大仙権現が祀られている。
愛宕社がある場所、及び西方の水道施設が在る場所も古墳であったと考えられているようだがいずれも発掘調査は行われていないようである。
(諏訪神社 参道口)

・鳥居奥に椎の大木
(諏訪神社 随神門)

(諏訪神社 拝殿)

(諏訪神社 本殿1)

(諏訪神社 本殿2)

(諏訪神社 拝殿内)

・扁額には「諏訪大明神」
(諏訪神社 境内 岩根神社)

・北西の岩根山の山神を祀った社であろう。
(諏訪神社 境内 瑜伽稲荷社)

(諏訪神社 境内 椎の大木)

(諏訪神社 社殿左方参道)

・諏訪山に向かう参道
(諏訪神社 愛宕社)

(諏訪神社 大仙権現)

(諏訪神社 眺望)

・旧大原郡家の景色が一望できる
- 所在地周辺が元「幡屋村」と呼ばれていたことから、勧請したのは秦氏と思われるが、なぜ秦氏が信濃の諏訪神社を勧請したのか疑問が湧く。
境内を見ていくと、岩根神社は大山祇神、愛宕社は軻遇突智神、大仙権現は大仙智明権現で伯耆大山の神、共に火之迦具土に関連する。迦具土は火の神であることから防火の神として信仰されてきた。
喩伽稲荷社は喩伽社と稲荷社が習合したものであり、喩伽はヨガのことであるが備前倉敷喩加山の由加神社は工芸神である手置帆負命を奉り厄除け権現としても崇敬されてきた。
境内に椎(スダジイ)を植えるのは防火用である。
諏訪神社経緯に度々火災に遭い、この地に移したということを考えると、幡屋川と赤川に挟まれた仁和寺の地は風が通りやすく火災が起きやすかったことを物語っている。
信濃の諏訪神社は風と水の守護神であり、秦氏が勧請したのはこの地を守るにふさわしいと考えての故だったのであろう。
又、大原郡家の移転は火災が原因であったのかとも思われる。