神社a

「比太神社」(ヒダジンジャ)

安来市広瀬町西比田2452 地理院地図

主祭神:吉備津彦命・吉備津姫命

伊弉諾命・伊弉冊命・押武金日命・菅原道真を合祀

・「押武金日命」は27代安閑天皇の事で、26代継体天皇の第一子。

  • この命を祀っていると云うことは修験との関わりがあり、大己貴神・少彦名命を祀っていたのであろう。

『出雲国風土記』仁多郡では「比太社」

・雲陽誌k78p143で「一宮明神 吉備津彦命吉備津姫命なり、九月廿九日を祭日とす、土人社地を龜居山と號す、」

  • 「雲陽誌」能義郡西比田東比田に「比太社・比太神社」という記載はない。

(比太神社 参道口)
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・参道口は狭く少々解りにくい

(比太神社 社殿)
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・拝殿と右手に境内社(伊勢社・稲荷社・木野山社・岩船社・縄久利社)
「木野山社」は大山祇尊・大己貴尊・豊玉彦命を祀る社で狼を眷属とする。

(比太神社 拝殿扁額)
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・「比太社」とある。

(比太神社 拝殿内)
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・扁額に「一宮大明神」掛軸に「比太之大神」

(比太神社 本殿)
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(比太神社 別社参道)
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・社叢北西方向に参道があり、もとは大鳥居もあったという。今の比太神社とは無関係だという。

(比太神社 別社)
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・今の比太神社とは別に参道があり2社が並んでいる。石碑は社日。
社は「比太神社」とは一段高い場所にある。かつてはきちんとした社殿があったという。
左手は八幡宮、右手は封じられ、幾つかの神社が纏められていたようである。恵比須神社・愛宕神社・水分社・真名井社など
今は共に「金屋子神社」に合社されているという。


  • 色々疑問の湧く神社である。
    元は伊弉冊尊を主祭神に祀っていたともいう。
    上記「別社」と記した2社の内、閉ざされている右の社が本来の「比太社」であったのであろうと考えられる。
    中心は「恵比須神社」で祭神は「大國主命・事代主神」
    今は取り壊されているらしいが、南方にかつては「諏訪神社」があり、「恵比須神社」「八幡宮」と共に3社で祭禮が行われてきたという。
    この地は、「御墓山」を含む比田連山が望める地であり、元は伊弉冊尊を祀っていたというのも得心できる。
    吉備勢力の侵入や武家支配などの歴史過程で本来の「比太社」が地位を失い、明治の神社改めで今の「比太神社」が風土記の「比太社」とみなされるようになってしまったのであろう。
    合社された後、今でも地元では大事にされているようである。
    社地東辺に「奥之殿」という地名があるが、ここは伊弉冊尊が暮らしていた地であると伝える。
    ちなみに御墓山への出雲側からの山道は、東方の梶地区からであったようだが、今は途中から藪道となっている。
    途中に大神山というのがあり何かしらの由縁があるのであろうが不明。「木野山神社」があったのかとも思われる。

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Last-modified: 2020-06-14 (日) 18:27:24 (1405d)