神社a
神社島根
○「石上神社」
島根県出雲市釜浦町356 地理院地図
主祭神:布都御魂神
創建時期など不明。かつては石神と呼ばれていた。
社伝では大内義隆の一族が釜浦に住んでいた時霊験篤く社殿を造営したという。
大内義隆は大内氏16代当主で、陶隆房(晴賢)に攻められ1551年長門の大寧寺で自害している。
その一族というのだが定かではない。
義隆には4人の男子がいたが、長男・次男・三男はいずれも死亡断絶。
4男義胤は義隆没後に生まれ母子ともに石見に逃れ大石と改名している。
あるいはこの義胤一行の遁世先であったのかもしれない。
『雲陽誌』楯縫郡1k25では「石上名神 素盞烏尊を祭」と記している。
明治の神社改めの際祭神を変えたものかと思われる。
(石上神社)

(石上神社)

(石上神社)

(石上神社)

(石上神社)

(石上神社)

(石上神社)

(石上神社)

(石上神社)

(石上神社)

(石上神社)

(石上神社)

(石上神社)

- 石上は元は石神であり、イシガミであるがこれをイソノカミと読み物部氏に関係するという説を唱えるものがいるようだが、無関係。
大内氏は欽明天皇の時百済から渡来した多々良氏を称し、後に百済聖明王の第三王子琳聖太子が祖であると称するようになった。
又聖徳太子の頃、物部守屋討伐に協力したとも称しているのであり、系譜は信憑性に乏しいが、いずれにせよ物部氏とは全く関係がない。
元の祭神は『雲陽誌』にあるように「素盞烏尊」であり、「石上」という社名から明治の頃祭神を「布都御魂神」としたために物部氏がどうとか言い始めているものが出ている。
本殿床下に小石がおかれているが、これが霊石なのであろう。沖の御島にあったものかと思われる。