○「建御名方神社」
島根県仁多郡奥出雲町鴨倉下鴨倉565 地理院地図
主祭神:建御名方命
昭和44年(1969)上鴨倉の「鹿嶋神社」から分離し現在地に移転したという。
・『雲陽誌』仁多郡上鴨倉に「鹿嶋大明神」「諏訪明神」が記されているが、下鴨倉には「王子権現」(祭神:速玉男命・事解男命・伊弉冊尊)「貴布禰」(祭神:高龗)「荒神」があるのみで「建御名方神社」の記載はない。
三沢城に三沢氏が諏訪から勧請した「諏訪神社」が置かれていたようであるが、この「諏訪神社」との関係も定かではない。
「建御名方神社」と称していることから、諏訪からの勧請社ではないようにも思われる。
鴨倉の地で、上鴨倉に「鹿嶋神社」、下鴨倉に「建御名方神社」があるのは興味深いことである。
「鹿嶋神社」は樹木に囲まれ鬱蒼とした印象であるが、「建御名方神社」は高所にあり明るく清静としている印象である。
(建御名方神社)
・「遥拝」碑。後背の山に何かあるのかもしれない。
下部に良くはわからないが「在郷軍走」?と彫られているように見える。
鴨倉には毛利元就が三沢城攻めのために松木山城を築いたことが知られるが、建御名方神社の西方であり、
松木山城遙拝ではないようである。
この後背の山頂に元「王子権現」がありその遙拝碑であったのかとも考えられる。
(建御名方神社)
・上の「五穀豊作」碑の裏「社日五柱大神」と彫られている。
(建御名方神社)
・元は御神木であったと思われるオガタマノキ(招霊木)
この大きさになるには数百年はかかる。ゆうに500年は越しているであろう。
自然に生えたとも思われないから、この地に神社が古くからあり手植えられたものであろう。
招霊木は天照大神の岩戸隠れの際、天鈿女命がこの枝を手に持ち舞ったと言われる。
秋には赤い実を多数つけ、邪気を払うとされ、神社の巫女舞で鈴振りの元になっている。
榊の代わりにも用いられる。というか榊の元になったというべきか。