神社a

「鬼神神社」
島根県仁多郡奥出雲町大呂2058-2 地理院地図

主祭神:五十猛尊・素盞嗚尊

角村の「伊賀武神社」奥出雲町横田1278 の元社という。


(鬼神神社)
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(鬼神神社 案内板)
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(鬼神神社 岩船)
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(鬼神神社 参道)
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(鬼神神社 社殿)
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(鬼神神社 由諸書)
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・出雲国風土記仁多郡記載の「爾多支枳小國」はこの地だと云う。
・延喜式記載の「伊我多氣神社」はここだと云う。
・主祭神「五十猛尊」は威武の神で鬼神伊我武大明神と称えられたと云う。
・千家元勝撰の縁起部分で「延喜式云五十猛神陵地伊我多氣社是也」とあるが、延喜式に神陵地云々の記載はない。
最後に「大己貴命兄五十猛神」と記している等唖然。

(鬼神神社 本殿口)
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・本殿扉が出雲大社本殿のように向かって右側に作られている。

(鬼神神社 扁額)
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・「鬼神々社」とある。こういうところで普通は略さないものだが。

(鬼神神社 本殿)
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(鬼神神社 本殿裏神紋止金具)
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(鬼神神社 境内社)
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・手前から「山神」「金屋子神」「大松神」「木舩神」「劔神」「幸神」
「大松神」というのは不明だが、かつて松の神木が境内にありそれを祭ったのかと思われる。

(鬼神神社 五十猛尊陵墓口)
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(鬼神神社 五十猛尊御陵地石碑)
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(鬼神神社 五十猛尊御陵地石碑脇)
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(鬼神神社 五十猛尊御陵地奥)
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・近くを少し歩いてみたが、陵墓らしき痕跡は見られない。上記の石碑は平成に入って建立されたもの。


  • 岸崎や加藤はこの社の社伝を元に記しているようだが訝しい。
    「爾多支枳小國」の゚「小國」を固有名詞のように解している点に訝しさを見る。「小國」は普通名詞として出雲国風土記仁多郡には記されているのであって固有名詞では無い。
    新羅よりこの地に降り此処を神陵にしたと云うのであるが、五十猛命はその間この地に留まっていたと云うのであろうか。
    何らかの足跡を残したことがあったとしても、この地で没したという話は他に聞かない。
    岩船という石が地下数メートルというのも、掘ったわけでもなく根拠はない。そもそも埴船が岩になるはずもない。
    神話伝承の話であるから目くじら立てるほどのことでもないが。
  • 鬼神という社名について考えると、この辺りは良質な砂鉄が得られることで知られる地域であり、その鉄を求めて吉備の勢力が度々侵入してきた事が知られる。吉備側から出雲の神を呼ぶときに「鬼」('のない鬼則ちカミに’を付けオニとした)と呼んでいた。
    象形で[田」に[人]則ち(田に立つ)のが字義で「田の神」を表す。それに「'」を付け汚した象形が[鬼]である。
    一方、出雲側の稲作民にとっては吉備の産鉄民は鉄穴流しで川を汚す迷惑な存在であったであろう。
    そうした、産鉄民と稲作民の争いが繰り返されていた地域である。
    八俣の大蛇伝説がこの地域に広まったのは、江戸期と思われそれは古事記からの逆流であろうが、その原初はこの地域での産鉄民と稲作民の古くからの確執に根源があったと思われる。
    素盞嗚尊の八俣の大蛇退治は、稲作民が素盞嗚尊の支援を得て産鉄民を討伐した物語であろう。
    一方桃太郎の鬼退治は、産鉄民による稲作民討伐の物語であろう。
    社名の「鬼神」は産鉄民による名付けで、この地を支配下に置いた事による名付けと考えられる。
    その際に、この地の鬼(稲作民)の頭目を葬り祀ったのが鬼神神社でありその頭目が五十猛命とされたのであろう。
    ちなみに、鬼神神社の祭祀は孝霊天皇を祭る楽楽福神社宮司が行ってきている。
    ついでに、出雲の各神社にみられる「荒神社」(樹木の下に幣が立ててある)というのは樹木神でもある素盞嗚尊の荒御霊を祭り、困り事などがあると助けてくれる出雲の守護神であるが、鬼神神社にはない。

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Last-modified: 2020-01-10 (金) 04:49:07 (83d)