▲「比婆山」
広島県庄原市 地理院地図
広島県と島根県の県境にある「烏帽子山」1225mの南方にあり、広島県西条町の「立烏帽子山」1299mの間にある標高1264mの山を「比婆山」と呼んでいる。
南方山中に「比婆山御陵」と呼ぶ大岩がある。
周辺は近年広島県の県民の森となっており、整備されている。
藝藩通史には「烏帽子山」は記載されているが「比婆山」は記載されていない。
「比婆山」と呼び始めたのは明治以降であり、かつては「峯山」と呼ばれていた。
地区名「比和」が「比婆」に通じるという事で名付けられたものである。
(比婆山御陵)地理院地図
・以前は縦長の円墳であるという案内板があり、ベンチなどもあったが今では共に朽ち果てている。
無論円墳であるという根拠になる調査は行われていない。
写真は屋根付きの賽銭箱であり社ではない。念の為。
(比婆山御陵 案内板)
・近年の解釈であろう。熊野神社(比婆山熊野神社)を本宮・遙拝所と記し、その奥宮と記している。
かつては比婆山神社が遙拝所であり、その奥宮が下記の「命神社」とされていた。
比婆山神社から比婆山は遥拝できるが、比婆山熊野神社から比婆山は遥拝できない。
比婆山熊野神社が遙拝所であろうはずがない。比婆山熊野神社は紀州熊野からの勧請社である。
この地は備後国であり、古事記には出雲国と伯耆国の境に比婆山はあると記されており、明治政府はそれ故ここを神陵と称することを禁じた。
(比婆山御陵 命神社)地理院地図
・「
(比婆山御陵 烏帽子岩)
・命神社の後方にある。陽石であろう。太鼓岩とも呼ばれている。
(比婆山御陵)
・
(比婆山御陵)
・護符の水を引いていたらしい命神社の手水。護符の水は後方にあったが枯れている。
(比婆山御陵 飛越岩)
・伊邪那岐命がこの岩を飛び越え吾妻山にいったという
(立烏帽子山駐車場案内板)地理院地図
・環境省が設置した案内板。比婆山神社も比婆山古道も記されていない。
(池の段 標石)地理院地図
・池の段というのは、この標石のある場所から西方にある、石仏の置かれた場所を云う。
・この周辺は樹木がなく見晴らしが良い。
明治に入り、牛肉食がひろまり、庄原でも肉牛飼育が盛んになり、放牧地として樹木伐採が行われたためである。
近年は過疎化が進み牛の姿を見ることはなくなった。
(池の段 毛無山と伊良谷山方向)
・桔梗ヶ丘が毛無山の向こうに見える。
(立烏帽子山山頂)1299m 地理院地図