▲「旅伏山」
島根県出雲市国富町 地理院地図
標高:421(m)
「
誤解されていることが多いが標高456.4(m)のピークは「悪谷山」という。
近年、山塊を総じて「旅伏山」と呼んでいる。
旅伏山の名称縁起はいくつかある。
・八束水臣津野命由来のもの
・大己貴神由来のもの
・積羽八重事代主命由来のもの
・神日本磐余彦尊(神武天皇)由来のもの
一々は取り上げないが、いずれについても帯に短し襷に長しで、これが正しいといえそうなものはない。
「旅伏」というのは旅の途上病にかかり伏す(寝込む・亡くなる)ことを暗示する。
それ故本来の縁起は改変され複数の縁起が作られたものと思われる。
『出雲国風土記』後記では、「多夫志烽」の記述があり、旅伏を(タビフセ)と読まず。(タブシ)と今でも呼んでいることから、多夫志が転じて旅伏と記されるようになったと考えられる。
[夫]は成人男子・兵であり、[志]はこころざし・進むの意味であるから「多夫志」は多くの男が目的を持って進むという意味を示す。
これが具体的に何を表しているのかは定かではないが、少なくとも単独神の物語に関わることではない。
今ひとつ考えられるのは、旅伏山は古来複数の登山道があることで知られることから、多夫志は、多くの登山道があるという意味であるのかもしれない。
南麓には「谷」の名がつく地区が複数あるが、その「谷」毎に登山道があった。
東西南北どこからでも登ることのできる山というのはそう多くあるものではなく、この山の特徴の一つである。