◎島根県出雲市斐川町併川258「万九千神社」「立虫神社」
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[[神社島根]] ◎「万九千神社」「立虫神社」 島根県出雲市斐川町併川258 [[地理院地図:https://maps.gsi.go.jp/#15/35.374856/132.787006/]] ---- ・「万九千神社」 主祭神:櫛御気奴命・大穴牟遅命・少彦名命・八百萬神 古くは『出雲国風土記』「神代社」、延喜式に載る「神代神社」であったという。 鎌倉期に「神立社」安土桃山期に「神達社」と称し、江戸期には「神立大明神」「万九千大神」と呼ばれており、明治に入り「万九千神社」と称するようになった。 万九千はマクセが正しくマンクセンは通称・俗称だという。 本殿はなく社殿は八百万の神々を接待する作りとなっている。その奥に神籬・磐境があり祭祀はそれに対して行われているようである。 本殿がないためであろうか、今は立虫神社の境内社とされている。 ・「立虫神社」 主祭神:五十猛命・大屋津姫命・抓津姫命 かつては南西方向、斐伊川神立橋付近の西側中洲(中島・社島)にあったという。 寛文10年(1670)の洪水により現社地に移転。 更に古くは河内郷の斐伊川中洲にあったという。 ---- 出雲風土記抄3帖k26 解説で「神代社者出雲神戸神立村万九千大明神是也加立利社者同所加美伐大明神而式書立虫社蓋是耶又式外有神代社同社此二社亦以可有此處而今則無之」 (神代社は出雲神戸神立村万九千大明神是なり、加立利社は同所加美伐大明神にて式に書す立虫社蓋し是や。又式外に神代社同社有りこの二社亦以て此の處に有るべきなれど今はすなわち是無きなり。) ---これからすると、加立利社が万九千神社と同所に有り加美伐大明神と呼ばれていた。風土記抄は1683年頃の著述であるから、立虫社は既に移転済みであり、岸崎は加立利社を立虫社ではないかと推察していたようであるが、『出雲国風土記』出雲郡では、神代社・加立利社・立虫社は別記されており加立利社を立虫社とみなす事には無理がある。 加美伐大明神は須佐能袁命の髪を切って祭っていたと言われるが、立虫社という社名がどういう縁起なのかは不明であり今少し小考を要す。
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[[神社島根]] ◎「万九千神社」「立虫神社」 島根県出雲市斐川町併川258 [[地理院地図:https://maps.gsi.go.jp/#15/35.374856/132.787006/]] ---- ・「万九千神社」 主祭神:櫛御気奴命・大穴牟遅命・少彦名命・八百萬神 古くは『出雲国風土記』「神代社」、延喜式に載る「神代神社」であったという。 鎌倉期に「神立社」安土桃山期に「神達社」と称し、江戸期には「神立大明神」「万九千大神」と呼ばれており、明治に入り「万九千神社」と称するようになった。 万九千はマクセが正しくマンクセンは通称・俗称だという。 本殿はなく社殿は八百万の神々を接待する作りとなっている。その奥に神籬・磐境があり祭祀はそれに対して行われているようである。 本殿がないためであろうか、今は立虫神社の境内社とされている。 ・「立虫神社」 主祭神:五十猛命・大屋津姫命・抓津姫命 かつては南西方向、斐伊川神立橋付近の西側中洲(中島・社島)にあったという。 寛文10年(1670)の洪水により現社地に移転。 更に古くは河内郷の斐伊川中洲にあったという。 ---- 出雲風土記抄3帖k26 解説で「神代社者出雲神戸神立村万九千大明神是也加立利社者同所加美伐大明神而式書立虫社蓋是耶又式外有神代社同社此二社亦以可有此處而今則無之」 (神代社は出雲神戸神立村万九千大明神是なり、加立利社は同所加美伐大明神にて式に書す立虫社蓋し是や。又式外に神代社同社有りこの二社亦以て此の處に有るべきなれど今はすなわち是無きなり。) ---これからすると、加立利社が万九千神社と同所に有り加美伐大明神と呼ばれていた。風土記抄は1683年頃の著述であるから、立虫社は既に移転済みであり、岸崎は加立利社を立虫社ではないかと推察していたようであるが、『出雲国風土記』出雲郡では、神代社・加立利社・立虫社は別記されており加立利社を立虫社とみなす事には無理がある。 加美伐大明神は須佐能袁命の髪を切って祭っていたと言われるが、立虫社という社名がどういう縁起なのかは不明であり今少し小考を要す。
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