#author("2024-06-11T14:15:03+09:00","","") [[神社a]] #author("2024-07-25T02:54:53+09:00","","") ◯「田田神社」 島根県出雲市美保町821 [[地理院地図:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.482180/132.800674/]] 主祭神:美保津姫命 -今は唯浦と呼ばれる地の中腹にある。 元社地は唯浦の東の海辺にあったという。 元は社があったが、平安初期に島根半島を襲った人家を消失させた程の大津波により長く社殿を失っていた。 明治に入り、現在地に社殿復興。 この間も祭礼は続けられてきたという。 -祭神の美保津姫命については、出雲国風土記にも古事記にも記載はなく、日本書紀の一書に記されている。 高皇産霊尊の御子で国譲りを終えた大国主命の最後の后だという。 美保関の美保神社祭神でもある。 美保神社近くの幸魂神社が三穂津姫命の霊廟だと伝える。 ---しかしながら、この話は少々訝しい。 最後の后というが、大国主命は国譲りの後に斃したというのが通説であるにも関わらず后になるというのは奇妙である。 又后といいながらも出雲大社に祀られていない。 美保津姫命を三穂津姫命・美穂津姫命と記し、稲穂をもたらした女神という話もある。 出雲ではそれ以前から稲作が行われており、大国主命・少彦名命が稲作を広めた話は各地に残っている。 ---- (田田神社) https://fuushi.k-pj.info/jpgj/simane/izumo-c/miho-t/tataJ/tataJ-a1.jpg ・参道階段。心が折れそうになる長い階段。噂では200段ばかりあるとか。 (田田神社) https://fuushi.k-pj.info/jpgj/simane/izumo-c/miho-t/tataJ/tataJ-a2.jpg (田田神社) https://fuushi.k-pj.info/jpgj/simane/izumo-c/miho-t/tataJ/tataJ-a3.jpg (田田神社) https://fuushi.k-pj.info/jpgj/simane/izumo-c/miho-t/tataJ/tataJ-a4.jpg (田田神社) https://fuushi.k-pj.info/jpgj/simane/izumo-c/miho-t/tataJ/tataJ-b1.jpg ・参道途中にある「稲荷社」 (田田神社) https://fuushi.k-pj.info/jpgj/simane/izumo-c/miho-t/tataJ/tataJ-c1.jpg ・拝殿と境内社。きれいに手入れされている。 (田田神社) https://fuushi.k-pj.info/jpgj/simane/izumo-c/miho-t/tataJ/tataJ-c2.jpg (田田神社) https://fuushi.k-pj.info/jpgj/simane/izumo-c/miho-t/tataJ/tataJ-c3.jpg (田田神社) https://fuushi.k-pj.info/jpgj/simane/izumo-c/miho-t/tataJ/tataJ-c4.jpg (田田神社) https://fuushi.k-pj.info/jpgj/simane/izumo-c/miho-t/tataJ/tataJ-c5.jpg (田田神社) https://fuushi.k-pj.info/jpgj/simane/izumo-c/miho-t/tataJ/tataJ-d1.jpg (田田神社) https://fuushi.k-pj.info/jpgj/simane/izumo-c/miho-t/tataJ/tataJ-e1.jpg (田田神社) https://fuushi.k-pj.info/jpgj/simane/izumo-c/miho-t/tataJ/tataJ-e2.jpg ---- (田田神社) https://fuushi.k-pj.info/jpgj/simane/izumo-c/miho-t/tataJ/tataJ-g1.jpg ・田田神社とは無関係だが、帰路夕日が美しかったので掲載。 おそらく田田神社からも同様の夕日が見られるのだろう。 ---- ---「美保津姫命」について考えてみると、どうもこの女神は高天原から出雲に送られた人質だったのではないかと思われてならない。 そもそも出雲国譲りなどというのは記紀の捏造であると考えているのだが、出雲に国譲りを迫った際、出雲側はこの理不尽な要求をはねつけ 高天原(福岡県豊津)と出雲の争いとなり、出雲側が勝利し、瓊瓊杵命は逃れたが、捕らえられ佐太大神により鹿児島の枕崎に逃され、笠沙で過ごすこととなった。 「天孫降臨」と記紀では威勢のよいことを記しているが、瓊瓊杵命がたどり着き暮らしたという場所は断崖絶壁の上の森の中である。(野間神社ではない) それはともかく、そういう状況の中で、美保津姫命が和睦のために出雲に送られたのであろう。 大国主命の后とされるはずもなく、当然子もなく、辺鄙な唯浦に幽閉されたものと思われる。 それを憐れに思い地元で祀られてきたのであろう。 唯浦の田田神社は塩津からの勧請社と伝える説がある。 田田社は只浦(唯浦)に関係する社名であろうから塩津からの勧請というのは得心しがたい。 むしろ逆で、塩津にあったかもしれない田々社が唯浦からの勧請社であったであろう。