◎「伊保神社」(加佐加社・伊佐賀神社)
島根県出雲市斐川町出西544地理院地図
主祭神:阿菩大神(伊保大神・焼太刀火守大穂日子命)
・「出雲風土記抄」3帖k27解説で「加佐加作伊佐加」
「出雲風土記抄」では不詳と記し、「雲陽誌」には記載がない。
・『播磨国風土記』k20で「神阜出雲國阿菩大神聞大倭國畝火香山耳梨三山相闘此欲諫止上来之時到於此處乃聞闘止覆其處乘之舩而唑之故号神阜〃形似覆」
・阿菩大神を焼太刀火守大穂日子命としたのは平田篤胤の説である。
「上記」に「あぢすきたかひこねのみことハあまのみたげひめのみことにみあゐましてうみませるみこのみなハたきつひこのみこと つぎにやむヤひこのみこととまをす これのたきつひこのみことハくくとしのみことのみむすめたきつひめのみことにみあゐまいてうみませるみこのみなハやきたちひもりおおほひこのみこととまをす」とあり、篤胤はこれを参考にしたものと思われる。
篤胤がなにゆえ焼太刀火守大穂日子命を阿菩大神とみなしたのかは定かではない。
・「あぼる」は(昇る・上る)という意味を表す。「阿菩大神」は(出雲国から大倭国へ)上っていった大神ということなのであろう。
『播磨国風土記』の記述の中で「諫止上来之時」の「上」の一字が該当する。
・「いぼる」は(営る)という意味を表す。「伊保大神」は何事かを営んでいた大神という意味を表すのであろう。
博多弁で「いぼる」は(ぬかるみにはまる)という意味である。新潟では(ふてくされる)という意味を表し、群馬では(すねる)という意味を表す。
出雲では(不平を言う)という意味だと解説されていることがあるが不知。
伊保は地区名でもある。
『播磨国風土記』の揖保は粒丘(いいぼのおか)が由来とされ、「伊和大神」が食事をしながら川を遡った時口から米粒をこぼした場所が粒丘であるとされる。
「阿菩大神」が争いの仲裁に出かけて、争いが終わったと聞いたから不平を言ったという解説があるが、争いが終わったのなら喜ぶべきことで、不平を言うというのは奇妙な解説である。
『播磨国風土記』にそのような記述はない。
・「焼太刀火守大穂日子命」という神名からは刀鍛冶が想起される。
斐伊川は良質な砂鉄が取れる川であるが、播磨の揖保川も又同じく良質な砂鉄が取れる川であった。
・島根県神社庁では「伊佐賀神社」と記している。以前訪れた時には「伊保神社」であり、現在は新たに「伊佐賀神社」という社号標が立てられている。
「伊佐賀神社」というのは延喜式によるもので、「いさかい」を由来としたのであろう。
『延喜式神名帳註』-下-k172では「伊佐賀神社 ・出雲臣譜云武夷鳥命子伊佐我命」とある。
本殿はなく、拝殿奥に御神体として石が置かれており、拝殿前に丸石が置かれている。
出雲風土記抄・雲陽誌に記載がないことから、江戸期には社はなかったのであろう。
おそらくは、この山中の何処かに磐座があり、そこが阿菩大神の縁起地として伝えられており、明治に入って、磐座から石を運び周辺社をまとめて社殿を作ったものと思われる。
阿菩大神は、播磨で乗って行った葦船をひっくり返しそれが神阜になったというのであるから、その地にとどまり出雲には戻らなかったものと思われる。