神社a

◎「出羽三山神社」(出羽神社)

山形県鶴岡市羽黒町手向(トウゲ)字手向7 地理院地図

羽黒山(414m)山頂にある。
元は出羽神社であるが、現在は出羽三山(月山・湯殿山・羽黒山)の各祭神を祭り、出羽三山神社と称している。

・月山神社…主祭神:月讀命
・湯殿山神社…主祭神:大山祇神・大己貴命・少彦名命
出羽(イデハ)神社…主祭神:伊氐波神・稲倉魂命

月山山頂(1984m)地理院地図には「月山神社本宮」があり、湯殿山山頂(1504m)地理院地図近くには「湯殿山神社本宮」があるが、冬季は雪深く半年以上閉山されるので、祭礼は「出羽三山神社」で行われている。

出羽国が置かれたのは和銅5年(712)年であり、それ以前は越後に含まれていた。
出羽三山というのは江戸期以前には湯殿山ではなく月山東方の葉山(1462m)であった。(月山・葉山・羽黒山)地理院地図
天正年間別当寺であった慈恩寺と断絶したため祭礼が途絶え衰退し、湯殿山が代わりとなった。
・葉山奥之院…葉山神社(羽山神社・白磐神社)祭神:大己貴命・国常立命

羽黒山の開基は32代崇峻天皇の御子「蜂子(ハチノコ)皇子(波知乃子王)」(562年生~641年没)であるという。
崇峻天皇が蘇我馬子により暗殺された際(592年12月)、従兄の厩戸皇子の助けを得て、出家し「弘海」という法名を得、丹後の由良(宮津市由良)から日本海を北に向けて逃れ八乙女浦(鶴岡市由良)に上陸したという。
そこから羽根の黒い鳥に導かれ、たどり着いた山が羽黒山であるという。
蜂子皇子はここで地主神「伊氐羽神」を感得し出羽神社を創建したという。更に山行を続け、月山・湯殿山に登頂し月山神社本宮、湯殿山神社本宮を創建したという。
蜂子皇子は人々の苦悩をよく取り除いたことから能除仙・能除大師と呼ばれたという。

一方葉山神社は役行者(役小角・634生~706没)の創建と伝え、役行者は月山・湯殿山・羽黒山も訪れ、羽黒山・月山・葉山の三山で羽黒修験の地として隆盛した。

湯殿山には空海伝説がある。空海(774生~835没)が唐から帰国した後809年この地に来た際、赤川に梵字の書かれた木の葉が流れてきて、その川をたどると湯殿山の滝に至ったという。
この由緒で川を梵字川と呼び、滝は湯殿山御滝と呼ばれている。
月山・羽黒山・湯殿山は神仏習合の中で空海にちなむ真言宗の別当が置かれるようになっていた。湯殿山は総奥院とされていた。
別当は神社を管理し祭礼を行う役職の事を言う。本地垂迹説により神は仏の化身として現れた権現であるとして、祭礼は仏式で行われていた。
別当のいる寺を別当寺という。
葉山は法相宗の行基(668生~749没)が創建した慈恩寺を別当寺としていた。

こうした経緯から羽黒修験には3系統があったようである。
蜂子皇子系統、役行者系統、空海系統。三系統は混在していた。

江戸期に入り、羽黒山別当の宥誉が将軍家の庇護を受けるため家康の参謀でもあった天台宗の僧侶天海に接近し弟子となり天宥と改名。羽黒山・月山を天台宗に改宗した。
湯殿山はこれに反発し天台宗への改宗を拒否。

明治元年(1868)神仏分離令、明治5年(1872)修験宗廃止令が出て出羽神社は国管理の神社となる。
明治6年(1873)出羽神社が国幣小社となり平田篤胤派「神道実行教」国学者西川須賀雄(佐賀県出身1838生~1906没)が副島種臣の推挙により出羽神社宮司として派遣された。
月山神社が国幣中社、湯殿山神社が国幣小社として列格化されるに伴い西川は両神社の宮司も兼務。月山神社・湯殿山神社・出羽神社をまとめ「出羽三山神社」としての初代宮司となった。
西川はその後千葉の「安房神宮」宮司として転任した。(明治9年)
この間に西川は修験道を廃止、別当寺を廃止、廃仏毀釈を行い、三山の寺院・宿坊を徹底的に破壊・廃棄した。
2代宮司星川清晃(鶴岡出身1830生~1894没、平田篤胤派鈴木重胤門下)の時本殿を三神合祭殿とした。(揮毫副島種臣)

平田篤胤(大和田胤行:1776年生~1843年没)は久保田藩(現秋田市)の出身であるが20歳の頃秋田から出奔し、江戸に出て25歳の時備中松山藩の平田篤隠の養子となった。
27歳の頃本居宣長の著作にふれ、夢で宣長に入門を許されたとし、既に亡くなっていた宣長没後の門人を自称する。
その後宣長から離れ復古神道を主張する。
晩年久保田藩へ戻り秋田で没する。
上述鈴木重胤は篤胤の墓参の為鶴岡に立ち寄った際、星川清晃を門人にしている。

明治政府が国家神道策を進めるに際し大きな影響を与えたのが出羽三山神社初代宮司西川須賀雄であり、その背景には平田篤胤の思想がある。

戦後国家神道は廃され、修験道も復活しつつある。


(出羽三山神社)
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(出羽三山神社)
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「月山」は古くは「犂牛山(クロウシヤマ)」と呼ばれていたという。犂牛というのはマダラ牛の事であるから山容を表したものであろう)
蜂子皇子の伝説はあくまでも伝説であり、エミシ(愛瀰詩・毛人・蝦夷)に備えて渟足柵(新潟県新潟市)が647年設置・磐舟柵(新潟県村上市)648年設置とあることから、600年前後には、この地方はヤマト王権の支配下にはなくエミシの居住する地域であった。
708年に出羽郡がおかれ出羽柵(山形県庄内地方)が設置されたということから、この頃ようやくヤマト王権の支配が進んだと考えられる。
この間和人とエミシの交易は行われていたようであるから、蜂子皇子はエミシの地迄逃げ延び、羽黒山に居住し、犂牛山に月讀命を祀り月山と名付けたものかと考えられる。


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