神社a

「大元神社」

大分県杵築市山香町大字向野 地理院地図

祭神:比売大神(比咩大神)


宇佐神宮二之御殿(中央)の奥宮とされる。
毎年4月29日に例祭が行われ賑わうらしいが、日頃は山中の静かな神社である。

今は「御許(オモト)山」と呼ばれるが、古くは「馬城峯(マキノミネ)」「大元(オオモト)山」などと呼ばれていた。
山頂部は南北2つの峯からなり、その鞍部が広く南側に「大元神社」拝殿がありその後背の今は禁足地となっている峯の山頂に三ツ石と呼ばれる立石があり比売大神が天降ったと伝える。
宇佐大宮司が代替わりした時には禁が解かれ、山頂で祭礼が行われてきたという。
北側には比売大神の父とされる須佐能袁命を祭る「大元八坂神社」がある。「大元八坂神社」の背後にも磐座がある。
御許は植物の万年青(オモト)に由来するともいわれる。
「宇佐神宮」からの古い参道が西北側にあるが参道周辺は万年青の自生地である。
「馬城峯」というのは、白馬がこの山から天に駆け上がったという伝説による。

一応記しておくと以前参拝者が道に迷い捜索隊が出たことがあるという。
いたずらに山中を歩き回るのは控えた方が良い。
長い歴史を持つ山であり古道が多く、それが災害により崩落倒木などで分断されている。
標高は高くはないが懐の深い山である。


(大元神社)
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(大元神社)
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(大元神社)
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(大元神社)
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(大元八坂神社)
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(大元八坂神社)
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(大元八坂神社)
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(大元八坂神社)
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・今では少なくなったが麻の注連縄と玉緒

(大元八坂神社)
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・社後方が北の峯であり磐座がある。

(大元八坂神社)
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・鳥居近くに万年青

(大元八坂神社)
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・社後方の磐座。平石が3つある。ここが元は比売大神の降誕地とされたものであったと思われる。
というのは大元八坂神社が南の峯に向き合うという説明は普通は考えられない。参拝者が背を向けお尻を向けることになる。
・宇佐神宮というのは複雑な経緯を持つ神社であるが、奉斎していたのは宇佐氏・辛島氏・大神氏である。
この内古くから「比売大神」を奉斎していたのは菟狭津彦・菟狭津媛を祖とする宇佐氏であつた。
比売大神は天三降命(アメノミクダリノミコト)と云われ、天照大神と素戔嗚尊の誓約(ウケヒ)で生まれた神で、いわる宗像三比賣のことであり、
宇佐島に天降ったと伝える。
安心院(アジム)に「三女神社」があり、天降ったところであるという。
宇佐島という意味が色々と考えられてきたが、宇佐の飛び地(島)という意味だと考えられ、安心院(葦生)の三女神社で妥当であろう。
御許山に比売大神を祭るのは宇佐氏が山麓に居住するようになり、代を重ねるうちに御許山に祭ったことが始まりと思われる。
大和の大三輪神社を奉斎していたのが大神氏であるが、その末裔が大和から宇佐にやってきた際、御許山に八幡大菩薩が降臨したことを伝えた。
宇佐氏が比売大神と素戔嗚尊を奉斎していた今の大元八坂神社から、一段高いところに大神氏が八幡大菩薩の顕現地を定めたのであろうが、
後に宇佐氏が再び宇佐神宮の祭祀権の中心を担うようになった際、今の大元神社の祭神を比売大神にしたものと思われる。


(大元神社)三鉢の香水
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・石に3つのくぼみがあり三鉢と呼ばれるが水は枯れていた。

(大元神社)延命水
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・池にサンショウウオの卵があった。落ち葉が溜まっているが清水である

(大元神社)延命水2
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・洞があり、岩のくぼみに水が溜まっていた。次の写真祭壇右手の岩。

(大元神社)延命水3
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(大元神社)延命水4
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・洞奥に仏像


現在「大元神社」拝殿の後背山頂は禁足地となっているが、山頂には3つの立石があるといわれ、昭和14年内務省神社局考証課に勤務していた大場磐雄氏が乾板写真を撮影しており、國學院大學に寄贈したものが資料として公開されている。國學院大學デジタルミュージアム
・大場磐雄博士写真資料
(御許山三ツ石)
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周辺には他に6つの石があるといい、それぞれに名がつけられていたようである。
三ツ石は温もりのある石と伝えられていて、山頂は日当たりの良い場所なのであろう。


・大神清麻呂解状(弘仁6年・815)「件大菩薩是亦太上天皇御霊也 即礒機島金刺宮御宇天国排広庭天皇御世 於豊前国宇佐郡馬城嶺始現坐也~」
・八幡宇佐宮御託宣集k235 「馬城峯亦号御許山部 卅代欽明御宇首豊前守朝々出戸之間見東方有金色之光所現之様奇異仍以國諸司人之行東相尋之處~南有山名号御許其山首申八幡之往返給~御使挙登挙見之有大石立而三本大鷲在此石毎朝飛上放金色光也~八幡大菩薩顕給~」

「御許山」という呼び名は勅許による名付けとされる。
顕現した神が「八幡大菩薩」ということから当初より神仏習合の霊地であった。
山中には〈霊山寺〉や〈六坊〉があり、国東六郷満山の元山として信仰が盛んであった。
後に「八幡大菩薩」は「廣幡八幡大神」と宣託で名乗りをあげ、応神天皇であるとされた。

美濃出身の放浪画家「蓑虫山人」(土岐源吾1836~1900)は1864年宇佐にやって来て三ヶ月を過ごし、その間絵日記を書き続け往時の情景を残している。

明治になると、神仏分離令により山中にあった仏教施設は強制廃棄された。
1500年近い歴史と文化と伝統を破壊した狂気であった。


1991年秋この地方を襲った台風19号は、電信柱が軒並み倒れ、大型トラックが横転するほどの風台風であったが、英彦山や求菩提山、御許山でも甚大な被害を出した。
続く1996年台風12号では御許山で樹木の倒壊、社務所の倒壊などの被害があり尚その爪痕を残している。
余談だが、英彦山上宮は台風被害で倒壊の危険があるとして長く閉鎖されていたが、2025年11月に改修工事が終わり、2026年春から参拝できるようになるとのことである。
社殿は修復されたが樹木の回復には100年・200年かかるのであろう。
被害以前に参拝したことがある。修験の山だが、長い長い参道はよく整備されていた。



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