「織田信長」 山岡壮八著 |
時間つぶしに読んだ。 信長については、「信長公記」が底本であるが、これは小説なので、かなり脚色してある。 それでも信長は面白い。 何が面白いと言って、その革新性である。 日本史上の人物で、個人的に物語として扱うなら第一に信長である。 かの破壊的な革新性は、どこから生まれたのか。興味は尽きない。 少年時期、山野を駆けめぐる中で、戦場とされた農村の悲哀を見聞したことが、その革新性を生んだのではないかと思う。 それ故、共に遊んだ家康と生涯に渡る織徳連合が維持されたのであろう。 家康も信長と同じく農民の悲哀を見聞していたに違いない。 でなければ、正妻処分・長子自害を要求されて、それに応じることなどできなかったように思う。 叡山焼き討ち、長浜虐殺、など、狂気的だが、坊主どもの生臭さや、信仰を利用した悪辣行為等、 今の時代でも、さほど変わらない。 惜しむらくは光秀の謀反だが、これは信長一生の不覚であった。 信長は、心の底で光秀を信頼していたのだろう。光秀が疑心暗鬼になったのは、信長の責任ではない。 信長のことだから、笑って死んでいったのだろうが、光秀的人物は、今の時代にも五万といる。 時代の狂気性に、個人の狂気振りで臨んだ信長を、非難はできない。 戦国乱世で無ければ、信長はかく迄の暴虐さを示しもしなかったように思う。 以前、名古屋に遊びに行ったとき、立ち寄った家で、おばあさんが、さっと抹茶を出された。 これには少々驚いた。さすが尾張徳川の膝元。 私がまだ二十歳前の頃である。尾張気質の一端に触れた気がした。 その基盤は信長が築き上げたものである。 「にゃーも」は侮れないと感じた。 |