《銅鐸への挑戦》 原田大六 |
云わずと知れた原田大六氏の力作である。 久方ぶりに、この大著を読み返してみた。 考古学上の知見を元に、記紀神話と考古学遺物との関連を求めようとする。その様な著作である。 しかしながら、どう好意的に見ても、原田氏の誤謬をやはり指摘しておかざるを得ない。 それは、物実自体は神として認められないと云う一点であり、根本的な認識違いである。 古社の御神体といわれるものには、物実があることは事実である。例えば剣であり、玉石などである。 しかしこれらは、御神体と云いつつも、あくまで神が宿る物であって、神そのものではない。 この点に原田氏の誤謬がある。 素戔嗚尊が台風であり、大国主が銅鐸であるという。 神の象徴としては、ある面妥当とも云えるが、やはりそれはあくまで象徴であって、神そのものではないのである。 |
ここまで記していて、ふと思うことがある。 この先記すに際して、これを読む方は、該当書に目を通した上で読んで頂きたいという点である。 原田氏の知識は膨大であり、とりわけ考古学上の件に関しては多くの点でなるほどと思える事が多い。 記紀を考古学的観点から逐次解釈しようとするその作業は、安直な批評を寄せ付けない作業である。 この点に関しては原田氏の労作を評価した上で、私は記している。この点理解しておいて頂きたいのである。 さもなくば、私の記述は、原田氏を孤高へと追いやった連中を喜ばせるだけのものになりかねないと危惧するからである。 |
さて、日本の神話において、神性とは大気のようなものであり、目に見えず、耳に聞こえない、その様なものとして捉えられる。 物実が神体として奉られるのは、それを媒体として神性が現れるからであって、それ以外に意味はない。 例えば、神社の鏡は、それが神の依代であるから奉られるのであって、神そのものではない。 鏡は太陽神の象徴とされることもあるが、これも奇妙な話で、太陽神はあくまで太陽そのものである。 鏡の祭祀が太陽崇拝に基くと云うような言質は、根本的に間違っている。 鏡の祭祀は招魂祭礼である。太陽神に対する祭祀であれば、太陽自体に手を合わせ拝礼すれば済むことである。 この様な誤った見解が広まった土壌は、おそらく仏教伝来以降の仏像拝礼によるものであろう。 日本の原始神道において、この様な偶像崇拝は元来無かったものである。 神道家では、仏教の位牌に相当するものを、白木を削って作成し神棚に収め祀っているが、これはいたって簡素なものであり、 祖霊祭の時、これを取り出し、祝詞をあげる。しかしながら、この白木の祖霊簿に対して祭礼を行っているわけではない。 祖霊祭に際しては先ず祖霊の招魂を行い、その依代として用いるだけである。祭礼が終われば、祖霊は再び霧散するのである。 偶像崇拝など決して行わないのである。 |
原田氏は、銅鐸が大国主命の象徴と語るが、これはおかしい。 大国主を祀る神社は各地にあるが、銅鐸分布とは無関係であり、その祭礼に銅鐸もしくはそれに類する物は一切ない。 ここで、私が大国主命を祀る神社というのは、大国主命に関わる伝承を持つ神社を指し、 出雲教の布教により創建された神社は論外である。 |
素戔嗚尊が台風という見解も奇異な感じを受ける。 それは、前原の地勢条件である。台風は南から北に北上するが、南に背振山系を持つ前原方面を大型台風が直撃したとしても、 原田氏が想定するほどの大被害を、前原方面にもたらす事など、想定しがたいからである。 |
第4分冊において、大国主命と八十神との争い、ウムガイ姫・キサガイ姫の説話解釈を行っている。 これを銅鐸破壊の物語と原田氏は解釈しているが、これは明らかに間違っている。 ウムガイ姫について、これは白兎説話と同様に民間治療薬に関する説話である。 蛤の粉末が火傷の薬としての効能を持つことは、近年確認されているからである。 つまり、銅鐸破壊には全く関係ない話である。 |
原田氏は大型銅鐸の破壊集団として天日槍を想定している。 これは播磨國風土記に、伊和大神と天日槍との土地争いの物語に対する解釈として想定しているのであるが、 普通云われるように、伊和大神が果たしてオオナムチと同一神であるか否か、疑問のあるところである。 多くの古代史論者がこの問題、つまり天日槍渡来時期と出雲やヤマトの関係に関して殆ど触れようとしない事を考えると、 一つの見解として記された点は評価すべきであろうが、その内容に関しては疑問が非常に多い。 (これに関する私見は別稿で記すつもりである) |
原田氏は、出雲を旧出雲と新出雲とに分別し、旧出雲が北九州、新出雲が現東島根と考えている。 これも非常に奇異である。 北九州方面に出雲系の影響は広汎に認められる。だからといって、出雲源卿が北九州とりわけ前原周辺とするのは、 余りに手前味噌と云わざるを得ない。 それは主要な出雲系神格を祀る神社は北九州にあるが、系譜下の神格を祀る神社が、北九州にはほとんど無いからである。 すなわち神格の広がり、密度が全然異なるのである。 例えば、オオナムチの御子神山代日子を主祭神として祀る神社は、北九州には全くない。 無論、関西説論者が出雲源郷として比定する山城國にもない事は云うまでもない。 出雲源郷は、あくまで出雲=島根県東部である。 |