大山津見神
日本書紀(本文)にはこの神の記載はないが、
『草の祖「草野姫」又は「野槌」と名づく』とあるのが、参考になる。
又、
伊弉諾尊が軻遇突智を斬った際に成った神として、
(一書の7)では、『一段は是「大山祗神」となる』
(一書の8)では、『一は首、「大山祗」と化為る』
とある。
古事記では、
山の神として「大山津見神」、野の神として「鹿屋野比賣神」、の二神が記され、更に、
「山野によりて、持ち分けて生める神の名は」と続き、御子達の神名が書き上げられている。

《御子神》
天之狭土神(アメノサヅチノカミ)
國之狭土神(クニノサヅチノカミ)
天之狭霧神(アメノサギリノカミ)
國之狭霧神(クニノサギリノカミ)
天之闇戸神(アメノクラドノカミ)
國之闇戸神(クニノクラドノカミ)
大戸惑子神(オオトマトヒコノカミ)
大戸惑女神(オオトマトヒメノカミ)

この御子神達も、速秋津日子神の御子神と同様に整理された神名である。
この事から、これらの神々は自然神であると考えられる。

この御子神達は、山野の自然の様子を表した神名であると考えられる。
天と國は、この場合、山中と山裾の意味だと考えられる。
記紀の解説としては以上のようであるが、
思うに、大山津見神に対比できるのは、大綿津見神である。
とすると、速秋津日子神の御子神とされた8神は、実は大綿津見神の御子神であるのが
本来の姿ではないかと考えられる。
ただ、大綿津見神はあくまで海原の海神であるため、水戸神として速秋津神を置き、
海洋民の上陸の様子を示しているのだと考えられる。

大山津見神に関して、
日本書紀の一書で軻遇突智に関連して大山祗を挙げているが、
古事記では、火之夜藝速男神に関する8神の山津見神達に関連している。
これは、別に記すが、火之夜藝速男神が火山に関連した神であり、
普通の山の神としては、大山津見神をあてていると考えることが出来る。
話しがこの辺りから複雑化してくるが、整理しておく。
「海の民」達の奉祭する「海の神」は「大綿津見神」であり、
「山の民」達の奉祭する「山の神」は「大山津見神」である。

「山の民」達は、「海の民」達が列島にやってきて、定住が進み時間経過があった後の姿であるから、
古事記で「大綿津見神」の後に「大山津見神」が記されているのである。