豊前國風土記

《鏡山》
豊前國風土記云、田河郡 鏡山在郡東 昔者 氣長足姫尊 在此山 遙覧國形 勅祈云
天神地祇 為我助福 乃便用御鏡 安置比處 其鏡即化為石 見在山中 因名曰鏡山

(逸文 万葉集注釈 巻第三)


豊前國(とよくにのみちのくち)の風土記にいわく。
田河の郡 鏡山郡の東にあり 昔 氣長足姫尊 この山にいまして、遙かに國形を見て 勅祈していわく。
天神(あまつかみ)も地祇(くにつかみ)も我が為に福(さきわへ)たまえ、と。
すなわち、御鏡をもちて、この所に安らけく置きたまいき。
その鏡すなわち石となりて、山の中にあるを見ゆ。
よりて名づけて、鏡山という。

「風姿」注
鏡山は、香春町にある、神奈備形の秀麗な小山で、山全体が「鏡山神社」の社域である。
地元伝承では、この山に神功皇后が鏡を埋めたと伝えている。

《鹿春郷》
豊前國風土記曰 田河郡 鹿春郷在郡東北 此郷之中有河 年魚在之
其源従郡東北杉坂山出 直指正西流下 湊會眞漏川焉
此河瀬清浄 因號清河原村 今謂鹿春郷訛也
昔者 新羅國神 自度到來 住此河原 便即 名曰鹿春神
又 郷北有峯 頂有沼周卅六歩許 黄楊樹生 兼有龍骨
第二峯有銅并黄楊龍骨等
第三峯有龍骨。

(逸文 宇佐宮託宣集)


豊前國風土記にいわく。田河ノ郡 河原の郷郡の東北にあり 此の郷の中に河あり 鮎あり。
その源は、郡の東北のかた、杉坂山より出でて、直ぐに、ま西を指して流れ下りて、眞漏川につどい会えり。
この河の瀬、清し。因りて清河原の村となづけき。今、鹿春の郷というは、よこなまれるなり。
昔、新羅の國の神、自ら渡り来たりて、この河原に住みき。すなわち、名づけて鹿春の神という。
又、郷の北に峯あり。頂きに沼あり。めぐり三十六歩ばかりなり。黄楊(つげ)の樹 生い、また、龍骨あり。
第二峯(つぎの峯)には、銅ならびに黄楊・龍骨などあり。
第三峯(その次の峯)には龍骨有り。
「風姿」注
香春岳は南から一の岳、二の岳、三の岳、と連なる山容で、古来銅の産出と鏡の製作が行われてきた。
現在、一の岳は、石灰産出の為削り取られて、無惨な姿になっている。
香春の神というのは、一の岳南麓の香春神社に祀られる「辛国息長大目命」の事。
龍骨というのは象の骨のことで、薬として用いられた。

《廣幡八幡大神》
或書曰 豊前國宇佐郡 菱形山 廣幡八幡大神 坐郡家東場城峯頂
後亦人皇四十五代聖武天皇御宇 神亀四年歳次(丁卯?) 就此山
奉造神宮 因名廣幡八幡大神宮

(諸社根元記・廿二社註式)


或書にいわく。豊前の國宇佐ノ郷 菱形山。廣幡八幡大神 郡家の東の馬城峯(まきのみね)の頂にいます。
後また、人皇四十五代聖武天皇の御宇、人亀四年の歳(丁卯?)にやどるとし、
此の山につきて、神の宮を造り奉る。因りて廣幡八幡の大神の宮と名づく。

《宮處郡》
豊前風土記曰 宮處郡 古 天孫發於此 天降日向之舊都
蓋天照大神之神京 云々

(中臣祓氣吹抄 上)

豊前風土記にいわく 京處郡 いにしえ 天孫(あめみま)ここより發ちて、日向の舊都に天降りましき。
けだし、天照大神の神京なり。云々