大伴氏 |
古代の豪族として有名な大伴氏について、考えてみます。 大伴氏の始祖は、天忍日尊とされています。 古事記で、天津彦彦火瓊瓊杵尊の降臨の際の随神です。 大伴姓は、10世の孫、武持の時からです。 武持の子が室屋、その孫が金村です。 金村は天忍日尊の13世の孫になります。 大伴氏の出自はおそらく豊前行橋付近でしょう。 金村は継体を迎え、欽明即位の時期に引退しています。 物部麁鹿火より高齢でしょうから、一世代前と考えると、 その生年は西暦455年前後と考えられます。 此処から天忍日尊の生年を逆算してみます。 455ー25×13=130年 随神として10代後半と考えると、 130+15=145年頃天孫降臨があったと考えられます。 天津彦彦火瓊瓊杵尊は天照大神の孫で、生誕直後に降臨しています。 天忍穂耳が25才前後として、天照大神の生年は更にその25年前と考えると、 145ー25ー25=95年 物部氏の稿での計算と15年程度の誤差はありますが、これは概略計算ですから、 さほど大きな違いとは言えないでしょう。 天照大神の生年は、両稿を平均して、西暦90年前後と考えられます。 この事から、日本神話というものが、さほど古い時代のものではないということが解ります。 その分、「神代」に関する記載内容の信憑性は高まります。 |
さて、両稿での計算を何のためにしたかというと、 天照大神から欽明までの期間に、物部氏でも大伴氏でも13〜14世にしか過ぎないのに、 欽明は神武から数えて29代天皇とされ、兄弟相続分を考慮しても21世の孫に相当し、 天照大神からだと、25世の孫にあたり、その直系系譜には疑問が生じるという事です。 単純に考えても、10世程度は他系譜を繋いでいると考えられるわけです。 |