物部氏
古代の豪族として有名な物部氏について、考えてみます。

物部氏の始祖は、宇摩志麻遅尊とされています。
宇摩志麻遅尊のお父さんは饒速日尊です。お母さんは三炊屋姫です。
弟には天之香山尊がいます。

宇摩志麻遅尊は、物部の兵を率いて、天之香山尊と共に、尾張・美濃・越を平定し、
天之香山尊を、新潟県の弥彦神社に残した後、更に播磨・丹波を経て、石見国に入り、
島根県大田市にある現在の物部神社で崩じられたとされています。

この事から、物部氏はその本拠地が石見国であるといえます。
良く、物部氏の源郷が、北九州だとか、土佐であるとか、更には奥州であるとか奇説がありますが、いずれも論外で、源郷が石見であることは間違いありません。

物部姓を称したのは、宇摩志麻遅尊の6世の孫である、物部十市根命とその弟の物部大新河命の時からです。

物部十市根命の7世の孫が物部麁鹿火です。
つまり、麁鹿火は宇摩志麻遅尊の13世の孫に当たります。

1代平均25年として13代では25×13=325年
麁鹿火の活動時期が西暦510年前後で、既に成人し仮に30才だと考えると、
おおよそ、宇摩志麻遅尊の生年は、510−30ー325=155年前後だと考えられます。
神武天皇とほぼ同世代と考えられるので、神武天皇の生年も西暦155年前後と考えられます。

更に、神武は天照大神の三世の孫ですから、同様に考えると、
155ー25×3=80 となり、天照大神の生年は西暦80年頃と考えられます。
つまり、西暦1世紀後半が天照大神の時代と考えられるわけです。

この計算は大伴氏の稿でも行いますが、ほぼ同じ結果になることが注目に値します。
ここで25年を計算に用いているのは、次のような理由からです。
子をなしうる年齢というのは現代も古代もさほど違うとは考えられません。
男子の場合、早くても18歳前後、遅ければ40歳以降でも可能です。
一般には、20歳から30歳の間で子をなすことが多いと考えます。
この間生まれてくる子が、系譜相続に関与する男子である事に関して考えると、
長子が男子である確率は50%、2子あればどちらかが男子である確率は高まります。
長男相続と、次男相続を考えたとき、その頻度に有意差はありませんが、
男子2名生まれるには、兄弟姉妹4人程度を考えなければなりません。
この様なことを考慮して、概数計算に25歳を用いています。
無論、1夫多妻、原始乱婚、等云い出すと、この様な計算自体無意味になります。
ここで行いたいのは、天皇系譜と諸氏系譜の比較ですので、時代条件は同じです。
物部氏の始祖を普通、宇摩志麻遅尊とし、饒速日尊としないのには理由があります。
宇摩志麻遅の弟、天香山尊の系譜に海部氏や尾張氏がおり、饒速日尊を物部氏の始祖とすると
海部氏や尾張氏が物部氏の分流のように誤解されるからです。
この点付記しておきます。
海部氏や尾張氏については、又いつか記します。

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