ヒミコの鏡
ヒミコが魏からもらった鏡が、果たして古墳から出てくる鏡に比定できるのか、私は疑問を覚える。
三角縁神獣鏡が良く引き合いに出されるが、魏の年号にない景初4年の年号入りの銅鏡が出るなど、
奇怪としか云いようがない。

大事な鏡であれば、古墳に副葬されたとは考えられないのである。
鏡100枚をもらっても、そのままヒミコが所持したと云うことも考えにくい。
ヤマタイ国の傍国30余国に連合の証として分配したと考えるのが妥当である。
とすれば、100枚が同じ様式の鏡である必要もない。
2・3種類程度あっても構わないのではないかと思ったりもする。
各地の古社には、古鏡が神宝として伝世されていることがある。
おそらくは、これらの中にヒミコの鏡が含まれているのではないかと考える。

記紀に記載のないヤマタイ国であるから、大和朝廷によって制圧若しくは吸収されたと考えるのが、
妥当であるが、その際、これらの鏡も取り上げられて、石上神社などに持ち込まれているのではないか
と思えるのである。

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