ヤマタイ国について
ヤマタイ国九州説の中で、私は八女説を採っています。
九州説にも各種ありますが、此処で概略批判を試みます。

◎天照大神=卑弥呼説
素戔嗚尊の神追い(カミヤライ)を説明できません。従って無理です。
別稿で記しているように、時代が100年弱異なります。

◎卑弥呼=神功皇后説
卑弥呼が韓半島に遠征した等という記載は魏志倭人伝にありません。
神功皇后の皇子応神についても、記述はありません。従って無理です。

◎宇佐説・・・この説の前提に卑弥呼=天照大神=神功皇后が語られます。
        宇佐神宮の創建は西暦574年前後ですから、時期が違いすぎます。

◎甘木説・・・ヒミコと天照大神が同一とされ、天の安川が小石原川の別名だとか。
        夜須に小石原川は流れていません。
        昔は安川と言ったという伝承もありません。と言うことで無理。

◎西都説・・・宮崎県西都市は、西都原古墳群で知られますが、
        卑弥呼の墓に比定される男狭穂塚にせよ女狭穂塚にせよ、
        5世紀から6世紀のもので話しになりません。

◎日田説・・・久津姫がヒミコだとか、久津姫をヒミコに比定するなら、他地区の八女津姫や
        神夏磯姫等を否定しなければなりません。
        その考察がない限り、住めば都説にすぎず、話になりません。

と言う風に消去法で考えてきたところ、今は八女説です。
少なくとも奈良や大阪ではないと考えています。
奈良や大阪なら、記紀にそれなりの記載があるべきです。
八女は、磐井の根拠地で、継体磐井戦争で
見られるように、北九州一円を圏域としていましたから、ヤマタイ国の後継国だったのでしょう。

八女には、「亀甲」と呼ばれる、正八角形をした不思議な地形があります。
八女古墳群の南部です。
竜ヶ原とも呼ばれています。現在住宅密集地で、考古学的調査は、全くされていませんが、
ここがヤマタイ国の政庁跡だと考えています。

ヒミコの塚は更に南方で、持論上の比定地がありますが、公言は時期尚早。
あしからず。
98/09/10
今日のニュース報道で、箸墓古墳の年代が、3世紀終期と伝えられました。
出土物からの推定です。ヤマタイ国畿内説の方々は困るでしょうネ。

Back